(読者様からのご質問)
悟りって何ですか?
悟れば楽になるのでしょうか?
(オレンジャーからの回答)
ご質問いただきありがとうございます。悟りについても、たくさんの書籍や意見があり、その見解は様々なですが、ここではオレンジャー的見解から悟りについて少し説明させていただきます。
悟りとは、人が持つ「自分と自分以外の他のもの」を区別する機能が消滅し、文字通り自分と自分以外の「差が取られている状態(=差取り=悟り)」を指します。人は皆、思考することで、自分と自分以外のものを区別し、認識しています。この認識する際に、人は、それまでの人生で経験してきた様々な体験によって、想像力を働かせてしまいます。この想像力によって、あるがままの世界やモノを観ることができないというジレンマに陥ってしまう人がたくさんいます。
想像力は人に与えられたとても素晴らしい能力の一つですが、この能力の反作用として、目の前の現実をデフォルメしてしまいます。過去に受けたトラウマが原因で、ささいな事で強い不安が生まれたり、未来に対する夢物語を頭の中で膨らめすぎてしまって、ワクワクするあまり現実のことが手につかなくなったり、寝れなくなったりしてしまいます。いずれも現実には起こっていないにも関わらず、自らの想像力を駆使することで、あたかもその現実が目の前で起こっているような錯覚を起こしてしまい、その錯覚から生み出される感情に支配されてしまうようになるのです。
悟りには何段階もありますが、最初の段階では、この想像力を排除して、物事のあるがままを観るという状態に入ります。この段階では、過去の自分の体験から生み出される様々な思考や想像に縛られることなく、目の前で起こっている現象をあるがままに受け取ることができるようになります。自分の頭が生み出すノイズによって、感情が左右されなくなるという意味において、このステージを体験すると気持ち的にはかなり楽になるように思います。
次の段階として、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるという「五感」を超えて世界を観るという段階があります。人は誰でもこの「五感」を通じて世界を感じています。あなたの感じる世界とは、すなわち「五感」を通じて接続している世界に他なりません。この五感が変われば、あなたの現実の世界も変わるのです。人はそれぞれ五感の感じ方も異なりますし、この組み合わせによって、認識している世界も異なります。ものの見方はその人の意識によって大きく影響を受けて、人は見たいものしか見ませんし、聞きたいことしか聞きません。同じものを見ていても、人によってその視点は変わりますので、それぞれの認識する世界が変わってしまうのです。仮に同じ能力の目、耳、鼻、口(舌)、皮膚を持っている人がいたとしても、この5つの感覚の組み合わせ方は多種多様です。光を優先する人は目からの情報が優先され、音を優先する人は耳からの情報を優先してしまうのです。つまり人は、五感によってそれぞれが認識できる世界を自ら生み出しているのです。(自分の世界を自ら生み出しているとも言えます。)第二の悟り状態とは、これら五感の機能が持つ違いや様々な組み合わせによって生まれる差異が一切なくなっている状態であると言えます。
思考や想像力によるノイズがなくなり、五感による差異も無くなったら、だいぶ目の前にあることを、あるがままに見える準備が整ってきます。この次に来る第三段階が「観念を超える」段階です。観念とは人がそれぞれ持つこれまでの経験で培ってきた「信念」であり、この信念が固まって揺らがなく固定化されたものが「固定観念」であり、人は常にこの固定観念に無意識に縛られています。最初の悟り段階である思考や想像力は顕在意識でコントロールできるに対して、こちらは潜在意識化にあるものですので、通常はコントロールができません。宗教の世界や哲学の世界において様々な取り組みがなされ、この領域の悟りに至っていると思われる人も存在しています。観念にも様々な領域があってその深さに応じて、悟りの段階もどんどん深くなっていくと思われますが、私自身この深い領域については、まだ未知の領域ですので、どんなものか言葉を使って説明することができません。
第一段階の悟りを得ると、先にも書いたように自分の思考や想像によって自分を苦しめていた人は解放され、楽になります。ただ、第二、第三の段階の悟り状態に進んでいくと、それはもはや「楽」であるかそうでないかというレベルすら超えてきて、比較することそのものの意味がなくなってきます。この段階になってしまうと、おそらく皆さんが期待するような「楽」とという感覚は味わえないように思います。
また「楽」ということに限らず、「悟り」を何かすごいことや素晴らしいことのように持ち上げる風潮がありますが、これもまた少々イメージを良く膨らませすぎているように思います。確かに勝手な思考の世界だけに閉じこもるよりは、あるがままの世界で生きる方が生きやすいと思います。でも「悟り」に達するということは、現実世界においてよいことばかりではありません。分かりやすく言えば、人は誰でも生まれた後しばらくの間は「悟り」の状態にいます。赤ちゃんの状態では、まだ思考や想像力はあまりなく、五感も発達しておらず、固定観念が生み出されていないので、まさに「悟り」に近い状態です。だからといって赤ちゃんが現実世界に一人で放り出されたら、おそらく生きてはいけません。つまり、悟り状態のままで、現実世界を生きることができる人はほぼいないということです。
日常で悟りを役立てるのであれば、自分の行き過ぎた思考や想像、五感、固定観念を瞑想などでリセットして、少しだけものごとをあるがままに見るようにする位がいいように思います。すべてはバランス。全く悟りが無いのも、悟りを追求しすぎるのも、オレンジャー的にはいきづらいように思います。人それぞれが持つ幸せ感や心地良さがありますので、その自分が求める感覚に合わせて、バランスを整えていくのが生き易くなるコツだと思います。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] オレンジャーからの回答(5) […]