沈黙の音

おれはオレンジャー!

今日は土曜日
コラムの日

今の時代は
実にたくさんの外的情報が
存在していて
多くの人は消化不良を
起こしている

情報に溺れつつある
現代人に対して
Oshoの「沈黙の音」から
メッセージをお届けしたい

ーーーー以下引用ーーーーー

音から感覚へ進むというのは 
限りないエクスタシーに
満ちた世界へ
存在の世界へと進むことだ
それはマインドから離れることだ

感覚は存在的だ
それが感覚という言葉の意味だ
感覚というのは感じるものだ…
見るものでもなく
聴くものでもなく
ただ感じるものだ

その地点に達したら
あなたはジャンプすることができる
それは最後のステップだ
その時あなたは
深淵の淵に立っている
そこでジャンプをする


感覚からジャンプする
ということは
自分自身へ
ジャンプするということだ

深淵とはあなただ…
マインドとしてではなく
存在としてのあなただ…
蓄積された
過去としてではなく
現在としてのあなた
今ここのあなただ

マインドから存在へと進む時
その橋となり
その繋ぎとなるのが感覚だ

しかし感覚へと達するには
いろんなものを
去る必要がある…

言葉を
音を
マインドの欺瞞の
すべてを

「次いでそれを去り、自由になる」

あなたは自由だ
この「自由になる」という言葉は
「自由のために何かをする」
という意味ではない

「次いでそれを去り、自由になる」
とは
「あなたこそ自由だ」
という意味だ

存在とは自由だ
マインドこそが束縛だ

だからこそ
「マインドとはサンサーラだ、
世間、 ワールドだ」
と言われるのだ。

世間を離れてはいけない
それは不可能だ
マインドがある限り
必ず新たな世間が生まれる
種子はそこにある

たとえ山に行って
隠棲したところで
マインドはいつも一緒だ
ここに置いていくわけにいかない
世間はあなたについて周り
また新たな世間が作られる

隠棲しても
また世間が作られる…
種子があるからだ

そしてまた関係性も作られる
その相手は
木々かもしれないし
鳥かもしれないが
再び関係性が作られ
再び希望や期待が作られ
どんどんその網は
広がっていく…
種子があるからだ

こうしてあなたは
再び「世間」の中に入る
マインドこそが世間だ
マインドをどこかに
捨てるわけにはいかない

マインドを去るには
ただ内に入るしかない
それこそ
唯一のヒマラヤだ

それ以外のヒマラヤは
役に立たない
言葉から感覚へ
感覚から存在へと
内側に入ること
それが世間から離れる道だ

いったん
存在の内なる深淵を知れば
自分がどこにいようと
たとえ地獄の中にいようと
何も変わらない

何も変わらない
もしあなたに
マインドがなければ
地獄はあなたの中に入れない
マインドがあるからこそ
地獄は入ってくる
マインドは地獄への扉だ

『それを去り自由になる』

いきなり感覚を
相手にしてはいけない
きっと失敗する

まず言葉で試す
だが哲学を
去っていなかったら
思考を去っていなかったら
言葉で試しても
きっと失敗する

言葉はただ単位だ
言葉を重要なものとして
考えていたら
言葉を去ることはできない

言語とはあくまでも
人間の作ったものだ
言語は実用的なもの
必要不可欠なものだ

でも音に与えられた
いろんな意味は
私たちが作ったものだ
この点をよく理解すれば
先へ進むのも楽だろう

もし誰かが
コーランに逆らうような
ことを言ったり
ヴェーダに逆らうような
ことを言ったら
あなたはどう感じるか

笑い飛ばすことができるか
あるいは歯ぎしりするか
あなたはそれを
笑い飛ばすことができるか

誰かがギータを侮辱したり
クリシュナやラーマや
キリストの悪口を言っても
笑っていられるか
「そんなものただの言葉だ」と
見過ごせるか
いやあなたは傷つくだろう

だとすれば言葉を
失うのは難しい

言葉はどこまでも言葉だ
取り決められた意味を持つ雑音だ
それをよくわきまえておくように
実際にその通りだ


まず最初に言葉から離れる
言葉から離れれば
言葉とはただの雑音だと
理解できる

それはちょうど
軍隊で番号を使うのと同じだ
「101番」 という兵隊は
101番に同化するようになる

もし誰かが101番の
悪口を言ったら
きっと侮辱されたように
感じるだろう

それで喧嘩を始める
101番はただの番号だ
でも彼はそれに同化している

あなたの名前も
ただの番号だ
ただの索引番号だ

番号がなければ
いろいろ面倒だから
ラベルを貼っておく


それはただのラベルだ
別にどんなレベルでも構わない


だがあなたにとっては
それはただのラベルではなく
深くまで入り込んでいるものだ

あなたの名前は
あなたのエゴの中心と
なっている

だから賢者たちの
「名前のために生きなさい
名前を汚してはいけない
名前を大事にしなさい
そうすれば死後も名前は
生き続ける」
という言葉など
元来そんなものは
ありはしなかった
単なるコード番号だ

「死後も名前は生き続ける」
自分は生きてもいないのに
どうしてラベルが生き続けるのか

言葉を見てごらん
その不毛性を
その意味のなさを
そしてどんな言葉にも
とらわれてはいけない

ーーー引用ここまでーーー

言葉を超えた先に
言葉の無い沈黙の中に
響いている音が
観えるようになったとき
一つの悟りを得ることができる

今日はこんなところだ
じや!

音符

PS.

昨日は御岩神社&日光東照宮ツアーを
催行させていただきました!
ご参加下さった皆様、本当に楽しい時間を
ご一緒させていただきありがとうございました。

ことしもあと2か月、
11月実施予定のツアーはまた申込受付を
行っておりますので、ぜひご検討ください!

あと、12月は関東東国3社巡りを予定しています。
こちらも日程が確定しましたらまたお知らせさせて
いただきます。

11月19日(日)
【受付中】白山神社(石川・福井)ツアー
https://pro.form-mailer.jp/lp/c9af5f34293221

11月21日(火)
【受付中】元伊勢籠神社・眞名井神社・天橋立神社ツアー
https://pro.form-mailer.jp/lp/f0a91de5298574

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次