「見返りを求めないこと」
これが、心がもっとも自由になるコツだというお話をしよう
たとえば、君が誰かに何かをしてあげたとき
道に迷った人に声をかけたり、荷物を持ってあげたり、困っている友人の話を夜遅くまで聞いてあげたり――
そのとき、どこかで小さな「ありがとう」や「感謝されたいな」という気持ちが芽生えることがある
それは、とても自然なこと
人は誰かのために動いたとき、「わかってもらいたい」と思うものだからね

でもオレ的にちょっと言わせてもらうと――
そこに「見返り」をくっつけた瞬間、君の心は重くなる
見返りというのは、実は「期待」のかたまり
「これだけやったんだから」
「自分はあんなに尽くしたのに」
「感謝のひとこともないのか…?」
そうやって、いいことをしたはずなのに、いつの間にか心にモヤがかかってしまう
しまいには、怒りや寂しさ、悲しさに変わっていく
だけど、よく考えてみてほしい
君がしたその行動は、本当に「相手のため」だったのか
それとも「感謝される自分のため」だったのか
ここに、大事な真実がある
見返りを求めずに行った行動は、君自身の魂を一段と磨き、世界に静かな光を放つ
それは、誰に認められなくても
誰に知られなくても
ちゃんと“宇宙が見ている
いや、もっと正確に言うと
君の本当の部分≒魂が、それをちゃんと知っている
たとえば、道ばたに落ちていたゴミを拾ったとする
誰も見ていないかもしれない
感謝の言葉も、拍手もない
でもその一瞬、君の中にある「清らかさ」がふっと立ち上がる
それは確かに、君を少しだけ“ヒーロー”に近づける
この世界に「見返りなしの行動」が増えると
空気が少しずつ変わる
誰かの心が軽くなる
そして、それをした君自身が、一番自由になっていく
もちろん人間だもの
感謝されたらうれしいよね
ねぎらいの言葉があったら、励みになる
でも、そこに依存したらだめなんだよ
「感謝されたらラッキー!でも、されなくても全然OK!」
この心で動けるようになると、どんなこともエネルギーが重くならない
失望しない、怒らない、むしろ、もっと与えたくなる
なぜなら、そこにあるのは――
愛そのものの流れだから
見返りを求めないって、自己犠牲じゃない
それはむしろ、あなた自身を大切にすることなんだ
「自分がしたいからする」
「自分が心地よいから与える」
これができるようになると、君の内側はどんどん広がっていく
結果的に、たくさんの“想像を超える豊かさ”が君のもとへ戻ってくる
でもそれは、「見返り」としてじゃない
ただ、宇宙の法則として
めぐりの循環として
最後に、あなたに問いかけよう
「あなたは今日、何を“見返りなし”で与えられますか?」
その答えは、小さくていい
笑顔、言葉、時間、気配り、祈りでもいい
その一歩が、きっと君の世界を、そして地球を美しく変える
見返りのない優しさが、一番純粋で、最強なんだ
今日はこんなところだ
じや!
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