見えないを観る

おれはオレンジャー!

君たちは普段、「見えている」と思っている
でも本当に見えているのだろうか?
目の前にあるものを、ただ「確認する」だけで終わっていないか?



本当に優秀な人ほど、「見えないものを観る力」を大切にしているんだよ
それはただ視覚的に見ることじゃなく、「観察」することを通じて、世界の隠れた流れや構造、他の人のズレや可能性に気づく力だ 

例えば、大好きな絵や風景をじっくり観ると、そこには色彩以上に、空気や時間、背景にある物語や感情が見えてくる
それが知覚力だ

この「観察」から始まる知的プロセスは、思考、そして行動へと自然につながっていく
あのダ・ヴィンチだって、墓場のような場所で20体の死体を解剖して観察し、人体を深く理解しようとしたんだ 

でも現代人は違う
スマホや検索で、自分が必要だと思った情報だけをザッと見て、わかったつもりになってしまう。
そこに「観察」がないから、知覚力がどんどん衰えている 

情報洪水の中で、「期待して見る」「探して見る」「漫然と見る」だけになっていないか?
「純粋に見る」ことを忘れると、眼には見えているのに本質は見えていないという悲しい現実に落ちてしまう 

だからオレは伝えたい
「見えるもの」じゃなく、「見えないもの」を観よう、と

たとえば職場での会話
表面的には普通のやり取りでも、言われなかった微妙なズレや空気の読み違いが、
そこにある人間関係のずれや課題を教えてくれる

たとえば自然の中で立ち止まってみる
葉の揺れ、風の向き、枝の影の動き…
目には見えない「流れ」「気配」を感じとることで、世界と「一体になる」感覚が開く

君の中にも「直観」や「ひらめき」がある
純粋に世界を観察することで、ある日突然それに触れる瞬間がやってくる 

この「見えないものを見る力」は、スピリチュアル的な特殊能力じゃない
風水でいう「第三の目」のような、誰にでも開ける自然な知覚の窓みたいなものだ 

幼い子供は驚くほど何でも感じ取る
でも成長と共に、思考の世界が広がっていくと共にこの「観察眼」は閉じていって、いつのまにか思考と期待で世界をスキャンするように生きてしまう

だからこそ、僕らにはもう一度、「観察モード」に切り替える訓練が必要なんだ。

一日の始まりに、一瞬立ち止まり空気と光を観てごらん
人と会話するとき、その人の言葉の裏にある空気や感情を感じ取ってごらん
そして、いつもの「思考」ではなく、「感じる感度」を研ぎ澄ませてごらん

それだけで、君の世界はまるで違って見えてくる

何か面白いヒントが目に飛び込んできたり、些細な違和感こそが本当の問題を教えてくれたり、未来のアイデアの種が見えないところに見つかったりする

それが「見えないものを観る力」だよ

ここにこそ、思考を超えた直観と創造が待っている

オレは信じている
君が純粋に世界を観ることを始めたとき、そこには無限の可能性が広がっているlことを

見えるものばかりを追うな
見えるものの中にある「見えないもの」を観るんだ

それこそが本当の「知覚力」であり、君の世界を変える鍵になる

今日はこんなところだ
じや!

目
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次