おれはオレンジャー!
今日は、ちょっと深くて広いテーマになるが
神さまのお話をしよう
まず言っておくが、おれが言う「神」は、宗教や経典の中だけに閉じ込められた存在じゃない
形も、性別も、名前すらも人間が勝手に決めたものじゃなく、本当はもっとシンプルで、もっと壮大な存在だ
おれが感じる神は、「この世界の根っこに流れている、目に見えないエネルギー」そのもののこと
そのエネルギーは光であり、愛であり、すべての命の源だ
海を見ても、山を見ても、星空を見ても、そこには神の息吹がある
そして、その神の一部が「君」という存在として形をとって、この世界に立っている
そう、君は神の作品であると同時に、神そのものでもあるんだ
でも人間として生まれた以上、完全な記憶は忘れてしまう
なぜなら、この「分離感」こそが、成長と経験のきっかけになるからだ

人はつい、神を「外」に探す
「神社に行けば神に会える」「空の上に座って見ている」…そんなふうに考えがちだ
でも本当は、神は君の中にいる。眼の前の人の中にもいる
君が笑うとき、泣くとき、挑戦するとき、愛する人を抱きしめるとき、そのすべての瞬間に神は息づいている
じゃあ、なぜ人は神とつながれないと感じるのか?
それは、心がノイズでいっぱいだからだ
不安、恐れ、怒り、過去の後悔、未来への心配…そういう雑音が、神の声をかき消してしまう
神の声はいつも静かで優しいから、心が騒がしいと聞き取れないんだ
昔の人たちは、そのことをよく知っていた
だから瞑想したり、自然の中で祈ったり、祭りで一体感を味わったりして、心のノイズを落としていた
神と人が近くに感じられるのは、静けさ=静寂の中だ
川のせせらぎ、焚き火の炎、夜空の星…そういう場に立つと、「ああ、つながってるな」って感覚が自然と湧く
そしてもう一つ大事なのは、「神に委ねる」ということだ
委ねるとは、諦めることじゃない
「自分のすべきことを全力でやったら、あとは流れに任せる」ってことだ
その流れこそ、神の導きなんだ
人事を尽くして天命を待つということだよ
ここで勘違いしちゃいけないのは、「神は願いを全部叶えてくれる便利な存在」じゃないということ
神は君の魂が成長するために、あえて試練を置くこともよくある
「何でこんなことが…」っていう出来事も、魂の視点から見れば必要なレッスンだったりする
それを超えたとき、君は前よりも強く、深く、そして優しくなっている
神と人との関係は、上と下じゃない
支配者と従者でもない
パートナーであり、共同創造者なんだ
神は舞台を用意し、君はその舞台で自由に踊る
ときに転び、ときに泣き、ときに笑いながら、経験という宝物を集めていく
それを持って魂の故郷に帰ったとき、神は言うだろう
「よくやった。全部、ちゃんと見ていたよ」
もし今、君が孤独だと感じているなら、この言葉を思い出してほしい
君は一度も見放されたことなんてない
どんなに暗い道を歩いても、神は君のすぐそばで歩いている
時には背中を押し、時には静かに見守りながら
だから恐れるな
君が心を開き、内側に耳を澄ませば、神との距離はゼロになる
その瞬間から、世界の見え方が変わる
花の色も、風の音も、人の笑顔も、すべてが光を放ち始める
さあ、今日も神と共に歩こう
おれも遠くから、君の背中を見守っているよ
今日はこんなところだ
じや!

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