おれはオレンジャー!
僕らは生まれたときから「死」というゴールをセットされている
誰もそれを避けられないからこそ、多くの人が「死って怖い」「まだ迎えたくない」って思うんだ
でも実は、この「死の恐怖」を越えることこそが、人生をもっと自由に生きるためのカギだったりするんだ
じゃあ、どうやったら死を克服できるのか?
それは「死をなくす」ことじゃなくて、「死と仲良くなる」ことなんだと思う

夜空に輝く星って、もうとっくに燃え尽きている光だったりする
でも僕らはそれを見て「美しいなあ」って感じる
その瞬間、星は死んでるんじゃなくて、ちゃんと生きてる
むしろ死んでるからこそ、光を僕らに届けてるんだ
人間も同じで、体はいつか終わるけど、残すものや響かせるものはずっと生き続ける
「死を克服する」ってのは、体を不滅にすることじゃないんだ
むしろ逆で「死があるから、今日という日が特別になる」って気づけること
そうなると「いつか死ぬんだから今を楽しもう」とか「大切な人にちゃんと想いを伝えておこう」とか、自然に思えるようになるんだ
でも現代社会はどうだろう?
やたら不自然に「死」を避けようとしていないか
美容も医療も「老いないこと」「死なないこと」がゴールみたいになっている
死を恐れるあまり、逆に生きることが縮こまってる
スマホの画面を眺めて、リスクのない毎日をループして…それで「安心」してるつもりだけど、本当はちっとも生きてない
これって、死ぬ前から死んでるようなもんじゃないか?
あえていうなら「死は敵じゃない。死はパートナー」という感じ
死というゴールがあるから、ゲームは盛り上がる
もし終わりがなかったら、どんな冒険もダラダラしてつまらなくなるよね
死を克服する一番の方法は、「今、この瞬間を完全燃焼すること」
明日死んでも悔いがないくらいに、笑ったり泣いたり、愛したり挑戦したり
そうやって全力で生きてる人にとって、死は「終わり」じゃなくて「卒業式」みたいなもんだ
さらに不思議なことに「死を怖れない人」って、めちゃくちゃ魅力的なんだ
だって、死という恐れに縛られてないから
言いたいこと言えるし、やりたいことに挑戦できるし、人の目なんて気にしない
そんな人を見ると、「あ、これがほんとの自由か」って思うんだよね
結局、死を克服するってのは「死を消す」んじゃなくて「死を抱きしめる」こと
死を認めるから、生きることが輝く
命は有限だからこそ、無限の喜びを感じられる
だから僕らは、死を怖がる必要なんてない
死は最後の敵じゃなくて、最高の味方
死を受け入れたとき、僕らは本当に自由になる
さあ、死を恐れて今日を曇らせるんじゃなくて、死を味方につけて今日の命を思いっきり燃やそうよ
今日はこんなところだ
じや!

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