バズりの代償

おれはオレンジャー!

今日はバズるについて少し話そう
バズるって、今の時代の魔法の言葉みたいに感じることがある
昨日までひっそりつぶやいていた誰かの言葉や動画が、ある朝目を覚ましたら何万、何百万の人の目に触れている
通知は鳴り止まず、フォロワーは雪だるま式に増えていく
まるで小さな火種が、一気に乾いた草原を燃やし尽くす炎に変わるような感じだ



その光景は華やかだし、夢のようにも見える
ふだん声をかけてくれなかった人たちが、突然こちらを振り向くんだから、いきなり世界に認められた気持ちにもなる
まるで、自分の存在が一気に「正解」になったような錯覚さえ与えてくれる

でも、オレは思うんだ
「バズり」って本当に祝福だけなのか?
そこには、見えない代償もひっそりと忍び込んでいるんじゃないか

バズる瞬間って、実は巨大なスポットライトに照らされているようなもの
普段は心地よい暗がりの中で自由に踊っていたのに、突然ステージの中央に立たされ、何千の視線を浴びる
そこで人は、無意識に「観客の期待に応えなきゃ」と思い始める
つまり、自分が自由に表現していた“根っこ”が、だんだん「他人の目」によって形を変えていく

「次もウケるものを出さなきゃ」
「もっと面白いことを言わなきゃ」
「炎上しないように気をつけなきゃ」

いつのまにか、本当の自分の声よりも「求められる自分」が先に立つ
そしてそのプレッシャーは、心を静かに蝕んでいくんだ

ここで思い出すのは、昔話の“願いを叶える魔法”
願いは叶うけれど、その代償も必ずついてくる
命を削ることだったり、大切なものを差し出すことだったりその代償は様々
バズりも同じで、光を浴びれば浴びるほど、自分の影も濃くなっていく

バズりで一時的に得られる承認は魅力的だけど、それに依存してしまうと「バズっていない自分」が急に空っぽに思えてしまう
昨日まで普通に楽しかった日常が、急につまらなく感じる
これが“代償”の一つだ

さらに怖いのは、バズりは“群衆の波”に乗ることだから、その波が去ったときの静けさに耐えられなくなること
スポットライトが消えたとき、「誰も見てくれない」という孤独と不安が一気に押し寄せてくるんだ

じゃあ、バズりは悪なのか?
いや、オレはそうは思わない
バズりはただの現象なだけ
光が強ければ影が濃いのと同じで、これは自然の摂理なんだ
大事なのは、その現象に自分を見失わないこと

本当の強さは「バズらなくても、自分を楽しめる」ことだと思う
たとえ誰も拍手してくれなくても、自分の心が踊っているなら、それはすでに幸せなんだよ

もしバズりを手にしたなら、その光を「他人を照らすため」に使うといい
自分を満たすためだけに輝くのではなく、まだ暗闇にいる誰かの背中を温めるために使ってみるんだ
そのとき、代償はただの負担じゃなくてあなたの大きな使命へと変わっていく

バズることは素晴らしい
でもそれはゴールじゃなく、ただの「風」
風は吹いたら去る
そのときに残るのは「あなたがどんな根っこを育ててきたか」だ
だからこそ、バズりに心を奪われすぎず、日常の小さな一歩を大切にしていこう
だって、その一歩こそが、あなたの本当の力なんだから

今日はこんなところだ
じや!

ピエロ

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