正しさの迷宮

おれはオレンジャー!

今日は「正しさ」について少し考えてみよう
人間という生きものは不思議なもので、自分が“正しい”と思った瞬間、光り輝くヒーローにもなれるし、同時にちょっとした怪物にもなってしまう

たとえば、誰かと口論になったとき
どちらかが本当に悪いなら、その争いはそう長くは続かない
真実は静かに、でも確実にその場を整えていく
だから、口論が長く続いているとしたら、それは「どちらも正しい」と信じているからだ

そう、戦いを生んでいるのは“悪”ではなく、それぞれの“正しさ”なんだ



人間は、自分の正しさを証明したくてたまらない生き物
相手を納得させるために言葉を選び、理屈を並べ、正義をかざす
でも気づいてほしい
正しさとは、証明できるものではない
なぜならそれは、「どの次元の視点で見るか」によって、まったく違って見えるから

たとえば、空を飛ぶ鳥の視点で見える真実と、地上を歩くアリの視点で見える真実は同じじゃない
どちらも“事実”ではあるけれど、“真実”はひとつではないんだ

ここで大切なのが、「真実」「事実」「現実」を区別して理解すること

まず「事実(fact)」とは、観察できる現象のこと
「雨が降っている」「地面が濡れている」──これは事実だ

次に「真実(truth)」とは、その事実の“意味”をどう捉えるかという心の中の解釈
「この雨は恵みだ」と感じる人もいれば、「せっかくの予定が台無しだ」と嘆く人もいる
つまり真実は、見る人の意識の数だけ存在する

そして「現実(reality)」とは、その真実と事実が交わったところに生まれる“体験”のこと
雨の日に誰かと相合傘で笑い合う人もいれば、びしょ濡れで泣いている人もいる
同じ事実の上に、まったく別の現実が存在する

この三つを区別せずに混同してしまうと、世界は一瞬で戦場に変わる
なぜなら、人は“自分の真実”を“事実”だと勘違いしてしまうからだ

「私は正しい。あなたは間違っている。」
このたった一行の思考が、家庭のケンカを生み、会社の対立を生み、やがて国と国の戦争さえ生んできた

でもね、本当に覚醒した人は知っている
「正しさの証明」ほど、虚しいものはないということを

おれたちが本当に求めているのは、正義の勝利ではなく、“理解”なんだよ
相手を倒すのではなく、相手の世界を覗き込むこと
そうすると、不思議なことに、どんな争いも薄紙をはがすように消えていく

正しさを手放した瞬間、君は自由になる
なぜなら「正しさ」という檻を出たところにこそ、本当の愛があるからだ

人と人が理解し合うというのは、同じ意見になることではない
お互いの“真実”を尊重しながら、共にこの地球という実験場を生きていくことだ

だからもし、誰かと衝突しているなら、こう自分に問いかけてみよう

「私は“事実”を見ているのか? それとも、自分の“真実”を押しつけているのか?」

その問いが、あなたを3次元の争いから4次元の理解へ、そして5次元の共感へと導いてくれるだろう

正しさは、太陽の光のようにまぶしい
でも、光ばかり追っていると、影の中にある優しさを見失ってしまう
本当の賢者は、光と影のあいだに立ち、両方を抱きしめて生きている

真実を“勝ち取る”のではなく、“感じる”
それが、これからの地球人が身につけるべき新しい感性じゃないかな

正しさよりも、温かさを選ぼうよ

今日はこんなところだ
じや!

ひまわり
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