力を貸して

おれはオレンジャー!

ぼくらは、ついつい忘れてしまう

「自分のチカラで何かを生み出した」
そんな錯覚に酔ってしまう瞬間がある

でもね、本当はこの世界でぼくらが“完全にゼロから生み出したもの”なんて、ひとつもないんだ



たとえば、アイデア
「これは自分のオリジナルだ!」と思っていても、その背景には、誰かの言葉、本で読んだ一節、誰かの生き様、空の色や、風の匂い、全部、すでにこの世界にあったものたちの影響がある

たとえば、言葉
自分の気持ちを伝えるために話しているその言葉さえ、ぼくらが発明したものじゃない
誰かが昔々に生み出して、何百年、何千年とつながれてきた“贈り物”だ

服も、机も、家も、スマホもぜんぶ、自分ひとりの力でつくったわけじゃない
素材をつくってくれた人、道具を磨いてくれた人、設計してくれた人、届けてくれた人がいて、やっと手元に届いた“恵み”なんだ

つまり、ぼくらの「創造」はいつだって、誰かの「積み重ね」の上に乗っかってるってこと

ぼくらは、「無」からじゃなく、「既にあるもの」から「新たな何か」を紡いでる
空っぽの手から魔法のように何かを生み出すんじゃなくて、この宇宙から借りて、つなぎ合わせて、形を変えて、また誰かへ手渡してるだけ

そう思うとさ、「自分がすごい」とか「自分ひとりでやった」なんて言葉、ちょっと恥ずかしくなるよね

それよりも、「ありがとう」が自然とあふれてくる

生きてること自体が、奇跡のバトン
食べるもの、着るもの、学ぶこと、誰かに話せる喜び、それらはすべて、自分の外から、誰かの手を通じて届いてきた贈り物

だからこそ、ぼくらにできるのは、ひとつだけ

「もらったものを、活かすこと」
「受け取った愛を、また次に手渡すこと」

その連鎖の中で、はじめて「自分」という存在の役割が見えてくる

ゼロからじゃなくていい
むしろゼロじゃないからこそ、ぼくらは豊かに生きられる

自分の中に湧き上がる情熱も、悲しみも、歓びも、全部どこかで誰かが感じたものとつながってる

この地球のどこかで、空を見上げた誰かのまなざしと、いまの自分の心が、見えない糸でつながってる

だからね、「全部自分の力でやらなきゃ!」って背負いすぎなくていい

むしろ、先に来た誰か、そばにいる誰か、これから出会う誰かの力を、ありがたく、面白がって、素直に借りよう

そのときは、こう言えばいい

「ありがとう。君のチカラを少し貸してくれないかい?」

そうやって、ぼくらは“何もゼロから生み出せない”けれど、“世界とつながりながら無限に創り出していける存在”なんだ

今日はこんなところだ
じや!

うずまきキャンディ

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