おれはオレンジャー!
君たちは小さい頃から
「人に迷惑をかけてはいけません」と教わってきた
学校でも、家庭でも、社会でも
まるで“迷惑”という言葉には
罪の匂いが染みついているように
だから、人に頼ることを恐れ
失敗することを恥じ
何かをお願いするたびに「すみません」と小さくなる
けれど
本当はね
君たちは「迷惑をかけながら」生きているんだよ

赤ん坊の頃を思い出してみよう
泣けば誰かが抱いてくれた
おむつも、ごはんも
すべて誰かの手によって支えられていた
成長しても
誰かが作った道を歩き
誰かが育てた食べ物を口にし
誰かが照らした灯りの下で眠っている
そう、
「迷惑」は、悪いことではない
それは「支え合い」という
いのちの循環の一部なんだ
「人に迷惑をかけたくない」と意気込むと
自分を過剰にがんじがらめにしてしまう
でも、「迷惑をかけながらでしか生きられない」と知ると
肩の力がふっと抜ける
完璧であろうとする代わりに
“おかげさま”という言葉が心に自然と灯る
「ありがとう」「助かった」「嬉しい」
これらの言葉は
“迷惑をかける”という行為の向こう側で生まれる
つまり、人と人とが支え合う瞬間にこそ
感謝の花が咲くんだ
迷惑をかけることを恐れて距離を置くより
素直に「お願い」や「ごめん」を伝えられる人になろう
誰かに頼ることは、弱さではなく信頼の証
「あなたを信じています」という静かな愛の表現だ
そして、もし誰かがあなたに頼ってきたなら
それは「あなたが頼られる存在だ」という宇宙からのサイン
だから、笑顔で受け取ればいい
その循環が、社会という生命体を動かしている
迷惑をかけ合う世界は、不完全だけどあたたかい
それぞれが少しずつ不器用で
少しずつ足りないからこそ
助け合い、繋がり、優しさが生まれる
「迷惑をかけるな」と言われてきた世界は
“分離”の世界
「迷惑をかけあっていい」と言える世界は
“共生”の世界
人と人との間に流れる空気が変わる
“すみません”が“ありがとう”に変わるだけで
その場所に愛が広がっていく
だからね
もっと気楽でいいんだよ
迷惑をかけてもいいんだよ
人はそうやって生きていくようにできている
ただ、その「迷惑」の先に
感謝を添えればいい
「ごめんね」よりも「ありがとう」を
「迷惑をかけてすみません」よりも
「助けてくれてありがとう」を
その瞬間、
迷惑は“愛のやりとり”に変わる
生きるとは、支え合うこと
そして、支え合うとは、迷惑を分かち合うこと
完璧じゃなくていい
傷つけたり、助けられたり、泣いたり笑ったり
その全部が、いのちのリズムなんだ
「迷惑をかけながらでしか生きられない」
この真理を知ったとき
人はようやく他者を、本当の意味で愛せるようになる
迷惑の中に、愛がある
不完全の中に、光がある
だから今日も、人のぬくもりに感謝しながら
少し迷惑をかけて、生きていこう
今日はこんなところだ
じや!![]()


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