おれはオレンジャー!
今日は生きるということについて
少し書きたいと思う。
われわれは今自分が生きていると考えているが、
実はたくさんの生命体の生死によって生かされている。
実際に生きるという営みは、たくさんの生死の継続であり、
上位に存在する概念は生命の時間的な概念差や、
5感で認知しがたい大きさの差などによって、
下位概念に存在するたくさんの生命の営みを認識することができない。
カラダにはやく60兆もの細胞があり、たえずこの細胞は
生と死を繰り返している。
この細胞たちの集合体の管理をつかさどっているのは、
物理的には脳と遺伝子であるが、実際にその細かな調整や
全体バランスを整えているのが、エーテル層のエネルギーだ。
君達の言葉では、気とかプラーナとか呼ばれているあの
存在だ。
どんなに脳が発達しても、どんなに遺伝情報が素晴らしいもの
であっても、気のエネルギーなくして、細胞の集合体が一つの
生命体の活動を構成することはできない。
レオ=レオニ作谷川俊太郎訳の「スイミー」という話がある。
大量殺戮の“生き残り”である赤い小魚たちが、
スイミーという黒いリーダーのもと、まとまって
一つの大きな魚の形をとり、大きな魚を追っ払うという
ストーリーだ。
あのリーダーであるスイミー役のように、
意図をきちんと発揮することと、その意図にしたがって、
全体意識をコントロールする機能がこうした集合体を
運営するには不可欠なんだ。
君達は自分が自分で生きていると考えているだろうが、
実際はそうではない。
いろいろなエネルギーの集合体であり、様々な意図によって
生かされているというのが正しいだろう。
自分の思考だけにとらわれたり、時間概念の差によって、
あたかも自分だけで生きているという幻想にとらわれがちだが
実際はそうではない。
生死の繰り返しの中で、われわれの意識が存在できて、
そして生かされているのだ。
ここが分かると、すべてのもの、ことに対して
本当の愛を感じ、表現できるようになるだろう。
今日はこんなところだ!
じや!
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