おれはオレンジャー!
今日は肉体について少し伝えよう。
肉体は魂の乗り物で、古のエジプト人たちは
Kar(カー)と呼んだ。ちなみに、今の車のCarの
語源もここにある。
人間は死んだら魂という存在になり、全ての制約条件から
解き放たれることになる。
そこで自分という存在が完璧で全ては一つであることを
思い出すのだが、肉体を持っている段階でそれを感じたいと
思ってもなかなかできない。
チベットの修行僧のように厳しい修行をすることで、
その意識を持つことは可能だ。
人によってはその状態を「悟りを開く」と表現している。
ではなぜ、不便な肉体をわざわざもってこの世に存在しているのか?
答えは単純。
「楽しみたいから」だ。
全てが完璧で何もかも思い通りになるというのは
実は何も刺激や学びがなくこの上なく退屈だ。
想像してほしい。
ロールプレイングゲームで、全てのアイテムがそろって
完全無敵になった状態を。
その状態でゲームをやってもつまらないだろう。
人生ゲームも同じだ。
最初はゼロの状態からスタートして、様々な出来事を
通じて、感情を動かしながら、学び、成長する。
いわばこの世は肉体という大リーグ養成ギブスをつけて
魂を磨く場なのだ。
宇宙の存在たちは、そうしたステージはだいぶ前に卒業
してしまっている。なので、今では肉体を持たず意識体と
して存在している場合が多い。
ただ、意識体から振動数を落とすことによって、3次元的な
肉体を持つこともできる。この上なく不便だが、逆にその
不便さを楽しんでいたりもする。
そんなお気楽宇宙人が地球上にたくさん存在していることを
是非知っていてほしい。
じゃ、また。
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