『至高の投資』
エフ氏は
この世で最も成功した
実業家の一人だった。
彼の人生の指針は
単純明快
「損をしないこと」である。
若いうちに
巨万の富を築いた彼は
美味しいものを食べ
豪華な屋敷に住んだが
常に一つの不安に
苛まれていた。
それは
死の問題だった。
「どんなに金を貯めても
死んだらあの世へは
持っていけない」
この古臭い格言が
エフ氏には
我慢ならなかった。
血の滲むような思いで
稼いだ資産が
死ぬ瞬間に
ただの紙屑や電子信号に
変わってしまう。
それは彼にとって
人生最大の「損失」に
思えたのだ。
そんなある日
エフ氏の元に
風変わりな男が
訪ねてきた。
男は
「銀河救済公社」という
いささか大仰な名前の
名刺を差し出した。
「エフ様。
私どもは
お客様の資産を
『来世』へ直接送金する
サービスを提供しております」
エフ氏は鼻で笑った。
「詐欺なら他へ行け。
宗教の類には興味がない。
祈るだけで
天国へ行けるなんて話は
費用対効果が悪すぎる」
しかし
男は動じなかった。
「これは宗教ではなく
最先端の金融工学です。
既存の宗教は
『信心』という
曖昧なものを
通貨にしていますが
私どもは
『現預金』を直接
多次元宇宙の共通通貨に
変換する技術を
確立しました。
特定の口座に
振り込んでいただければ
その額に応じて
来世での
地位
容姿
才能
そして
寿命のすべてが
保証されます。
つまり
来世への投資ですな」
男が提示したデバイスには
複雑な数式と
実際に
「送金」を終えた人々が
来世で
謳歌しているという
真偽不明の観測データが
映し出されていた。
普通なら
信じないところだが
エフ氏は
強欲すぎた。
彼は
「もしこれが本当なら
死は損失ではなく
新たな投資の
始まりになる」
と考えたのだ。
エフ氏は
慎重に契約を交わした。
まず
全財産の半分を
テストとして送金した。
すると
その翌日から
エフ氏の身の回りで
説明のつかない幸運が
立て続けに起こった。
事故を間一髪で避け
絶望的だった投資案件が
奇跡的なV字回復を
見せたのだ。
「これは本物だ。
来世の運の前払いが
これほどなら
全額を注ぎ込めば
どうなるのか」
エフ氏は決断した。
彼は
会社を売り払い
不動産を処分し
身の回りの
調度品に至るまで
すべてを現金化した。
そして
男の指定する
「銀河救済口座」へ
一円残らず
振り込んだのである。
エフ氏の手元には
一晩の宿代と
明日の食事代すら
残らなかった。
彼は満足だった。
「これでいい。
私は来世で
これまでの人類が
経験したことのないような
至高の存在として
転生するのだ」
その夜
エフ氏は
安らかな眠りについた。
全財産を
使い果たした充実感と
輝かしい未来への期待。
あまりの幸福感に
彼の心臓は
耐えきれず
眠っている間に
ひっそりと停止した。
気づくと
エフ氏は
真っ白な空間に
立っていた。
目の前には
近現代的なデザインの
カウンターがあり
そこには
事務的な表情をした
一人の「係員」が
座っていた。
「お名前を。
……ああ、
エフ様ですね。
お待ちしておりました」
エフ氏は
胸を張って尋ねた。
「私の送金記録は
届いているかな?
確か、
銀河救済公社を通じて
人類史上最高額を
振り込んだはずだが」
係員は
手元の端末を
操作し、
うなずいた。
「はい、確かに!
お預かりした金額は
当界の通貨価値に
換算して……
天文学的な数値に
なっております。
文句なしのトップ
第一位です」
「そうか!
では
私はどんな存在に
なれるのだ?
宇宙の王か?
それとも
不老不死の神か?」
エフ氏は
興奮を抑えきれず
身を乗り出した。
しかし
係員の答えは
意外なものだった。
「いいえ。
お客様には
その莫大な資産に見合う
最も責任ある『役職』を
ご用意しております」
「役職?」
「はい。
当界のシステムでは
保有資産が
一定額を超えた方は
運営側に回っていただく
決まりになっております。
おめでとうございます!
エフ様。
あなたは
本日をもって
この世界の『神』に
就任されました」
エフ氏は
呆然とした。
「神だって?
それは
素晴らしいじゃないか。
全知全能なんだろう?」
「ええ。
ただし
神の仕事は
多忙ですよ。
主な業務は
地上にいる
何百億という
人間たちからの
『願い事』の
処理です」
係員は
分厚いマニュアルと
絶え間なく明滅する
巨大なモニターを
エフ氏の前に
差し出した。
モニターには
世界中の人々からの
切実な
あるいは
身勝手な祈りが
凄まじい勢いで
流れていた。
「宝くじを当ててくれ」
「病気を治してくれ」
「あの男を破滅させてくれ」
……。
「これらすべてを
あなたが審査し
叶えなければ
なりません」
「ちょっと待て。
叶えるための
コストはどうなるんだ?」
「もちろん
お客様がこちらに
持ち込まれた資産から
差し引かれます。
奇跡の実現には
相応のエネルギーコストが
かかりますからね。
ちなみに
先ほど一人の子供が
『世界中に
お菓子を降らせて』
と祈りました。
これを承認すると
お客様の資産の
約一割が消滅します」
エフ氏は
真っ青になった。
「冗談じゃない!
私の金だぞ!
なぜ
見ず知らずの
他人のために
私の資産を
切り崩さなきゃ
ならんのだ!」
「神とは
そういうものです。
資産が尽きれば
神の座は剥奪され
通常の魂として
再配分されます。
……おや、
早速、新しい祈りが
届きましたよ。
『エフという
強欲な実業家が
あの世でひどい目に
合いますように』
……ほう、
これは
かなりの
熱量です。
叶えますか?」
エフ氏が
絶叫して
拒否しようとした瞬間
モニターの
「承認」ボタンが
勝手に点灯した。
「あ、お客様。
言い忘れましたが
システムは
オートマチックです。
最も
『誠実』で
『純粋』な祈りは
優先的に
あなたの資産を使って
自動執行される
仕組みになっております。
先ほどの
呪いの祈りは
自動受理されました。
手数料として
残高の五割を
頂戴します」
エフ氏が
築き上げた
巨万の富は
彼自身を
不幸にするための
奇跡の代償として
猛烈なスピードで
目減りし始めた。
エフ氏は
自分の金の行方を
モニターで眺めながら
永遠に続く
事務作業の椅子に
縛り付けられた。
かつて
あれほど
愛した数字が
減っていくのを
ただ眺めるだけの
神という名の
奴隷として。
(完)


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