(読者様からのご質問)
成長しているのか、それともただ我慢しているだけなのか分からなくなるときがあります。どう考えればいいですか、教えてください?
(オレンジャーからの回答)
ご質問いただきありがとうございます。
とても大事な問いですね。
「これって成長なの?それともただ我慢しているだけ?」
実は、心が丁寧に生きている人ほど、この感覚にぶつかります。だからまず最初に伝えたいのは、迷っている時点で、あなたはもうかなり誠実に自分と向き合っているということです。
ではどう見分ければいいのか。
ひとつのヒントは、その選択をしたあと、自分の内側が少し広がるか、それとも縮こまるかなんです。
成長につながる我慢は、たとえ大変でも、どこかに「納得感」や「静かな前向きさ」があります。筋トレみたいな感じですね。しんどいけど、「やってよかった」という感覚が残る。一方で、ただの我慢は、終わったあとに疲れだけが残ったり、「本当は嫌だった」というモヤモヤが積み重なったりします。心がちょっとずつ痩せていく感じです。
もうひとつ分かりやすい視点があります。
自分を守るための選択か、自分を押し殺す選択か。
成長のプロセスでは、ときに踏ん張りは必要です。でもそれは「自分の未来を大切にした結果の踏ん張り」。例えば、新しい挑戦で怖いけど一歩出るとか、短期的な楽さより長期的な幸せを選ぶとか。これは魂が背伸びしている状態です。
逆に、ただの我慢は「嫌われたくない」「波風を立てたくない」「本当の気持ちを言うのが怖い」といった理由で、自分の感情を奥に押し込めるケースが多いです。外側は穏やかでも、内側では静かにストレスが蓄積していきます。
ここで少し現実的な話も。心理学では、自己一致感(self-congruence)という概念があります。これは「自分の価値観・感情・行動が一致している状態」のこと。この一致感があるほど、人は幸福感が高く、ストレス耐性も上がると言われています。
つまり
✔ 本音に沿った努力 → 成長感が出やすい
✔ 本音とズレた努力 → 消耗感が出やすい
シンプルだけど、かなり核心です。
とはいえ、ここで大事なのは「我慢=悪」ではないということ。人生って、どうしても調整が必要な場面があります。大人の余裕とか思いやりって、ある意味「健全な我慢」でもあるからです。ただ、その割合が多すぎると、だんだん自分が分からなくなります。
もし今ちょっと迷っているなら、こんな問いを自分に投げてみてください:
・この選択を続けた先に、どんな自分がいるだろうか?
・我慢している理由は愛?それとも恐れ?
・終わったあと、私は少し誇らしい?それとも疲れ切ってる?
・本音を10%だけ表に出すとしたら、何を言う?
全部に答えなくてもOKです。こういう問いを持っているだけで、心は自然とバランスを取り始めます。
あと、ちょっとスピリチュアル寄りの視点で言うと、成長って「無理して上に行く」より、本来の自分に戻るプロセスとも言われます。だから、苦しすぎる努力は長続きしませんし、魂的にもあまり歓迎されないことが多いんですよ。逆に、少し怖いけどワクワクが混ざる方向は、だいたい良いサインです。
最後に、とても大事なことをひとつ。
あなたが疲れているなら、それは弱さではなく「感受性の正常な反応」です。
無理してポジティブに解釈しなくていい。ときには「ちょっと休もう」も立派な成長の一部です。
成長と我慢の境界って、実は固定じゃなくて、その時々のあなたの状態で変わります。だから正解探しをするよりも、まず「今の私はどう感じてる?」を大切にしてあげてください。それだけで、だいぶ心は整っていきますよ。


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