(読者様からのご質問)
かみさまは存在するのでしょうか?
(オレンジャーからの回答)
ご質問いただきありがとうございます。
とても大きな問いですね。
そして、とても人間らしい問いでもあります。
「神様は存在しますか?」
この質問に、世界中の誰もが納得するような“ひとつの正解”は、実はまだありません。
でもね、だからこそ、この問いはあたたかいと私は思うのです
人は「苦しいとき」「不思議な体験をしたとき」「どうしようもなく感謝があふれたとき」に、自然とこの問いにたどり着くからです。
科学の立場から見ると
科学は「観察できるもの・測定できるもの」を扱います。
神様は測定できません。だから科学は「いる」とも「いない」とも断定しません。
宇宙の始まりについては、ビッグバン理論が有力ですが、
「なぜビッグバンが起きたのか?」という問いには、まだ完全な答えはありません。
つまり
科学は世界の“仕組み”を説明することはできるけれど、
「なぜ存在するのか」という根本の意味までは、まだ届いていないように私は思っています。
宗教の立場から見ると
世界の宗教は「神は存在する」と教えます。
たとえば
・聖書 では神が世界を創ったと書かれ
・コーラン では唯一神アッラーの存在が説かれます
・神道ではこの世界には様々な八百万の神が存在しています。
多くの人にとって神様は
「罰を与える存在」ではなく
「支え」「導き」「愛」の象徴でもあります。
哲学者はどう考えた?
哲学者の ブレーズ・パスカル はこう言いました。
「神がいるとして信じて生きるほうが、いないと決めて生きるよりも損は少ない」
これは打算というより、
“神を信じることで人は優しくなれる”という考えでもあります。
一方で、フリードリヒ・ニーチェ は
「神は死んだ」と言いました。
これは神がいないという意味よりも、
「人は自分で意味を作らなければならない時代になった」という宣言でした。
スピリチュアルな視点では
スピリチュアルな考え方では、神様は「どこか遠くの存在」ではなく、
・宇宙の根源的なエネルギー
・すべてをつなぐ意識
・愛そのもの
と表現されることが多くあります。
つまり、
神様=人格のあるおじいさん
ではなく、
神様=“存在を支える大きな力”
という考え方です。
結局のところ神様は本当にいるの?
ここまで様々な観点で神様を観察してみると
神様の存在は、証明よりも「体験」に近いものかもしれません。
たとえば、
・奇跡のような偶然が重なったとき
・絶望の中で救われたとき
・自然の壮大さに涙が出たとき
・赤ちゃんの寝顔を見て胸が震えたとき
その瞬間に人は人知を超えた「何か大きなもの」を感じるように思います。
それを「神」と呼ぶ人もいれば、
「宇宙」「愛」「生命の神秘」と呼ぶ人もいます。
名前は違っても、そのときに感じているものは実は同じものなのかもしれません。
もう一つの考え方
こんな見方もあります。
「神様は外にいるのではなく、それぞれの人の中にある」
つまり
人が誰かを思いやるとき
見返りを求めず助けるとき
許せない相手を許そうとするとき
そのときに現れる“光のようなもの”を、
神と呼ぶこともできる。
もしそうなら、
神様は存在するかどうかよりも、
“現すかどうか”なのかもしれません。
オレンジャー的な考え方
私はこう考えるのが好きです。
神様がいるかどうかは分からない。
でも、神様を信じたことで救われた人は、たくさんいる。
そして、
「誰かの幸せを願う心」は確実に存在する。
もし神様がいるとしたら、
それはきっと罰を与える存在ではなく、
あなたが涙をこらえて頑張っていることを
静かに知っている存在だと思います。
神様の存在は、証明の問題ではなく、
“あなたがどう世界を感じたいか”の問題かもしれません。
・偶然の集まりだと思う世界
・意味に満ちた世界
どちらを選んでも自由です。
でももし、
「誰かに見守られている」と感じることで
少しでも心が温かくなるなら、
その神様は、あなたの人生にとって確かに“存在している”のではないでしょうか。
そして何より――
あなたが誰かにとっての“救い”になった瞬間、
そのときあなた自身が、誰かの神様になっているのかもしれません。
あなたは、今、どう感じていますか?
神様は“いるかどうか”よりも、
“どう感じるか”が、もしかしたら一番大切なのかもしれませんね。


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