さあ、決めよう!

おれはオレンジャー!

今日はちょっと濃ゆい長めの話をしよう

「すべては自分の反映」

この言葉、スピリチュアル界隈ではもう聞き飽きた?
でも、100回聞いても、腹に落ちるのは1回か2回
頭では「ふーん」って言ってても
「あの人ムカつく」とか「どう思われたかな」とかで
いっぱいの毎日をすごしてしまっている

それは、なぜか?
それは、思考ってやつが「記憶の素材」を使って、
せっせと「他人ストーリー」を生み出し続けているから
思考は名詞(名前)を使って分けたがる
「自分」と「他人」
「正しさ」と「間違い」
「加害者」と「被害者」
でも、これ全部、分離の幻なんだよ



他人はいない
でも、思考がある限り、人は他人を作り続ける
エゴはすご腕の脚本家
「現実」という舞台の中に
登場人物を勝手にキャスティングして
勝手にセリフをしゃべらせて
最後に「私かわいそう」って泣く

でも、ちょっと待ってくれ
もしかしたら、その舞台装置ごと
自分の内面が創ってるんじゃないか?

そう思って、はっとする瞬間があるだろう
「この葛藤、私の“信じ込み”から来てたのか!」って
「“裏切りは悪いこと”って思い込みが、私を苦しめてたのか!」って

その瞬間、世界が少しやさしくなる
他人を責めるエネルギーが消えて
「まあ、みんな不器用に生きてるだけか」って思える

その気づきは、内側から「喜びの波動」となって広がる
その振動は、地球のバイブスをほんの少し上げる
君のまわりに光の渦を巻き起こす

でもね、ここが落とし穴
「わかった!」って思った瞬間
エゴはまたやってくるんだ

「わかった気になるゲーム」
これはエゴの最終兵器

「そうか、もう目覚めたぞ、俺!」ってなったとき
その自信が、次の罠となる

悟りってのは「もうわかった」で終わるゲームじゃない
「何もわかっていなかった」の連続なんだ

だからね、どんなにすごい気づきがあっても
「なるほど、これはゲームだったな」と微笑んで
また静かに歩き出そう

もう一度言う
「現実」は錯覚だ
目の前の誰かが嫌な人に見えても
その人は君の内側から投影されたキャラにすぎない

それでもあなたは言うだろう
「でも現に、あの人いるじゃん。しゃべってくるし、LINEも来るし」って

わかるよ、その感覚
でもオレ的にはこう断言する

「“あの人がいる”という“君の考え”が、そこにあるだけ」なんだ
それをちょっとだけ手放してみよう

「時間がない!」「遅れる!」
って焦るときも同じだ
まだ遅刻してないのに、心はすでに「間に合わない地獄」の中
そして意識のフォーカスが、しっかりその地獄に合ってるから
現実も、ちゃーんとその通りにできあがっていく

じゃあ、どうするか?
こう言えばいい

「時間は無限にある」
「遅刻してない今、焦る必要はない」

そうすると、不思議なことが起きる
「え、間に合っちゃった…?」みたいな奇跡
そう、これが“創造主モード”だ

誰かにイライラしてるときも、こう決める

「その人は存在していない。私が創ったキャラだ」と
すると、責める相手がいなくなる
責任のすべてが、自分に戻ってくる
でも、ここからがほんとうの自由の始まりなんだ

宇宙の責任者は、あなただ
この世界を創造しているのも、あなただ
そして、その世界をどこまでも変えられるのも、あなただけなんだ

新しい地球は
自分の創造力に目覚めた、あなたを待っている

声を大にしてお伝えしておきたい

「さあ、決めよう。全ては自分の創造だと」

この決意が、君の世界を光で染め上げる一歩になるんだよ

今日はこんなところだ
じや!

晴れ
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