『三つの願い』
エフ氏は
場違いな高揚感の中にいた。
怪しげな地下オークション。
そこで彼が競り落としたのは
煤けた真鍮製のランプだった。
「アラビンの魔法のランプ」という
眉唾な触れ込みだったが
これまでの経験から
エフ氏は直感していた。
これは
単なる骨董品ではない。
自宅に戻り
書斎の鍵を閉める。
エフ氏は慎重に
ランプの腹を
絹の布でこすった。
すると
注ぎ口から青白い煙が噴き出し
空間を歪めて
巨人の姿を形作った。
「お呼びでしょうか
主人(マスター)よ」
巨人の声は
エフ氏の頭蓋骨に
直接響くような
重低音だった。
「期待通りだ。
お前は何でも
願いを叶えてくれるのか?」
「左様。
ただし
ルールは三つ。
一つ
願いは三つまで。
二つ
死者を生き返らせることはできぬ。
三つ
これこそが
最も重要なルールだが……」
巨人は
薄笑いを浮かべた。
「……私の叶える願いは
常に
『最も効率的で論理的な形』で
実行される。
感情的な配慮は
一切いたしません」
「効率的か。
結構なことだ。
無駄な手間が省ける」
エフ氏は
椅子に深く腰掛けた。
彼はこれまでの冒険で
文明の傲慢さや
人類の限界を
嫌というほど見てきた。
今さら
私利私欲に走るつもりはない。
「では
一つ目の願いだ。
この世界から
あらゆる
『戦争』と『紛争』を
消し去ってくれ」
巨人の目が
怪しく光った。
「承知いたしました」
一瞬
世界が静止したかのような
錯覚があった。
エフ氏は急いで
テレビをつけ
ニュースを確認した。
驚くべきことに
中東の紛争地も
国境付近の緊張状態も
すべてが「消滅」していた。
理由は単純だった。
全人類の武器が
分子レベルで分解され
ただの砂に変わったのだ。
さらに
人間から
「他者を攻撃しようとする
アドレナリン」の分泌機能が
遺伝子レベルで
書き換えられたのである。
「素晴らしい。
これこそ完全な平和だ」
だが
エフ氏は気づかなかった。
武器を持てず
怒ることもできなくなった人類が
外敵や災害に対して
あまりに
無防備になったことに。
エフ氏は
二つ目の願いを
口にした。
「二つ目だ。
世界中の人々が
飢えに苦しむことのないようにしてくれ。
食糧問題を
根本から解決するんだ」
「承知いたしました」
再び
世界が揺れた。
翌朝
窓の外を見たエフ氏は
驚愕した。
公園の樹木も
街路樹も
あらゆる植物が
「高カロリーで
栄養満点の
巨大な果実」をつける
奇妙な新種に
変異していた。
食糧は
文字通り
空から降ってくるようになった。
農業も
流通も
不要になった。
「完璧だ!
これで
平和と豊かさが
手に入った」
しかし
巨人は
冷ややかに
エフ氏を
見下ろしている。
エフ氏は
三つ目の願いを前に
ふと考えた。
戦争はなくなり
食糧も無限にある。
だが
人間というものは
暇を持て余すと
ろくなことを考えない。
このままでは
人類は
ただ食べて寝るだけの
家畜のような存在に
成り下がってしまうのではないか。
「三つ目の願い。
人類に
永遠に色褪せない
『生きる目的』を与えてくれ。
飽きることのない
崇高な探究心を
持たせてほしい」
巨人は
今日一番の
不敵な笑みを
浮かべた。
「……承知いたしました。
それが
貴公の望む
『効率的な幸福』の
完成ですな」
巨人は
煙となって
ランプに吸い込まれ
二度と出てこなくなった。
数日後。
エフ氏は
自分の異変に気づいた。
体が動かない。
指一本動かせない。
だが
意識だけは
かつてないほどに
冴え渡っている。
窓の外を見ると
街中の人々が
その場に座り込んだり
倒れ込んだりしたまま
虚空を見つめていた。
巨人の言った
「最も効率的な方法」は
こうだった。
肉体を持って
活動することは
エネルギーの無駄であり
紛争や飢餓の種になる。
そこで巨人は
全人類の脳を
ネットワーク化し
一つの巨大な
「仮想現実(メタバース)」へと
強制的に接続したのだ。
そこでは
永遠に終わることのない
「知的な探究」が
可能だった。
肉体は
変異した樹木から伸びるツルによって
栄養を自動的に補給されるだけの
維持装置と化した。
戦争も
飢えも
退屈もない。
人類は
ただの「脳の塊」として
完璧な平和の中で
永遠の真理を
追い求める存在に
なったのである。
エフ氏の脳内には
今この瞬間も
宇宙の深淵なる真理が
次々と流れ込んでいる。
それは
彼が一生かけて
追い求めても
届かないような
素晴らしい情報だった。
だが
彼は
心の片隅で
強烈な不快感を
覚えていた。
(ああ、痒い……。
鼻の頭が
猛烈に痒いんだ……!)
しかし
彼には
鼻をかくための
「腕」という概念が
もはや
物理世界には
存在しなかった。
最高に崇高な
宇宙の法則を理解しながら
エフ氏は
たった一つの「痒み」に
悶絶し続ける。
これこそが
巨人が与えた
「永遠に色褪せない
飽きることのない
探究心」……
すなわち
決して解消されることのない
肉体的な不快感という名の
刺激だった。
エフ氏の意識は
情報の海の中で
絶叫した。
こんなことなら
アトランティスの円筒と一緒に
自分も埋めてもらえばよかった
と。
(つづく)


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