錬金術の箱
究極の静寂から
どうにか意識を現世へと引き戻したエフ氏は
自らの書斎で深く息をついた。
時空を超えた冒険は
いつも割に合わない。
彼はもっと即物的で
もっと分かりやすい
「幸運」を求めていた。
そんな彼の前に現れたのは
近所の空き地に捨てられていた
何の変哲もない
緑色のゴミ箱だった。
ただ一つ
蓋の裏に貼られた
奇妙なステッカーを除いて。
『資源の再定義:
投入されたすべての無価値な物質を
時価に応じた純金へと変換します』
「ふん、またこの手の詐欺か」
エフ氏は鼻で笑い
手に持っていた
飲みかけのコーヒーの空き缶を
投げ入れた。
カランという音が響いた直後
ゴミ箱の底で
「シュン」という電子音がした。
蓋を開けると
そこには
空き缶と同じ重さの
眩いばかりの
純金のインゴットが
転がっていた。
「……本物だ」
エフ氏の目が
たちまち
欲望に染まった。
彼は家中の
「ゴミ」を
次々と投げ込んだ。
古新聞
壊れた時計
読み終えた週刊誌。
それらはすべて
一瞬で黄金へと変わった。
数日後には
エフ氏の家は
黄金の山で
溢れかえった。
しかし
欲には際限がない。
エフ氏は
より効率的に
金を生産する方法を
考え始めた。
「家庭ゴミでは限界がある。
もっと巨大な
社会が困り果てている
『ゴミ』を放り込めば
どうなる?」
彼は
莫大な黄金を
賄賂として使い
ある利権を手に入れた。
それは
世界中に溢れる
「放射性廃棄物」や
「海洋プラスチック」の
処理請負である。
エフ氏は
巨大な工場を建設した。
工場の中心には
あの緑色のゴミ箱が
鎮座している。
ベルトコンベアーで
次々と運び込まれる
有害な廃棄物が
ゴミ箱を通るたびに
黄金の雨となって
降り注ぐ。
「これぞ人類の救済だ。
ゴミはなくなり
富は無限に湧き出す」
エフ氏は
「現代の王」として
君臨した。
世界中の経済は
彼が供給する黄金によって
支えられるようになった。
もはや誰も
汗水垂らして
働く必要はない。
エフ氏が
ゴミを捨てれば
それだけで
国が一つ潤うのだ。
だが、事態は
エフ氏の予想もしない方向へと
転がり始めた。
黄金が
市場に溢れすぎた結果
金の値打ちが
暴落したのである。
かつての希少価値は失われ
金は鉄や石ころよりも安価な
「重いだけの金属」へと
成り下がった。
さらに
ゴミ箱のステッカーには
エフ氏が見落としていた
「小さな注釈」があった。
『注:
質量保存の法則に基づき
生成された金の純度は
投入された物質の
「価値の無さ」に比例します』
つまり
世界から
「ゴミ」が消え去り
金が「無価値」になればなるほど
ゴミ箱から出てくる金の純度は上がり
さらに市場を黄金で埋め尽くしていく。
街中の建物は
黄金で覆われ
道路も黄金で舗装された。
しかし
パン一つ買うのにも
数トンの黄金が
必要になった。
ついには
農家も黄金を嫌がり
作物を育てるのを
やめてしまった。
黄金の土では
麦一本育たないからだ。
「……こんなはずじゃなかった」
エフ氏は
黄金の玉座に座り
絶望していた。
彼の周りには
腐るほど
いや
腐ることすらできない
黄金の山がある。
お腹が空いた。
だが
目の前にあるのは
黄金でできた食器と
黄金に変わってしまった
食糧の成れの果てだ。
彼は
ふと思い立ち
最後の「ゴミ」を
ゴミ箱に
投げ入れることにした。
自分自身だ。
この無価値な
欲深いだけの
老いぼれを放り込めば
せめて
高純度の金として
誰かの役に立つかもしれない。
エフ氏は
ゴミ箱の中に
飛び込んだ。
シュンという電子音が
響く。
……しかし
エフ氏の体は
黄金には変わらなかった。
ゴミ箱の蓋が
内側から開き
エフ氏は
再び
工場の床に
放り出された。
ゴミ箱の液晶画面には
冷ややかな
メッセージが
表示されていた。
『エラー:
本機は
「ゴミ」を変換する装置です。
既に
何の価値も持たなくなった
「今の世界」において
あなたを
ゴミとして定義することはできません。
あなたは既に
この世界の
「標準的な構成物質」です』
エフ氏は
呆然と立ち尽くした。
世界が
黄金で埋め尽くされた結果
エフ氏という存在は
もはや
特別な「無価値なゴミ」ですら
なくなっていたのだ。
彼は
黄金の海の中で
ただ一人空腹に耐えながら
生き続けることになった。
かつて
アトランティスの王たちが
「資源を使い果たして逃げ出した」理由を
彼は今、身をもって理解した。
(つづく)


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