おれはオレンジャー
今日は、二極性の話をしたい。
宇宙は一つの存在からとある好奇心によって、
様々な分身が分離する形となり、そこに忘却という
仕組みが手伝って、次元という概念が生まれた。
そして、その学びの一つの手法として
「二極性」という概念が取り入れられた。
二極性とは何か?
二極性とは、相反する二つの極を生み出すことによって
それぞれが学びを得る一つのやりかただ。
例えば、「善」と「悪」。
ある立ち場にたてば、善となるし、そこからみれば、
相手は悪となる。ただし、絶対的な善や悪はこの世界には
存在しない。あくまで相対的な概念であって、そこに
絶対性はないのだ。
たとえば、金星から地球に降り立った有名な存在である
サナートクマラ。
悪魔といわれる悪の代表格だ。
日本では、魔王尊とかサタンとかいった方が通じるかも
しれないが、もともとこのエネルギー体は金星人だ。
ひとつ前に、バージョンアップした星が、次にバージョンアップ
する星をサポートするというのがこの宇宙のルールだから、
金星人の代表として650万年前にこの地球に降り立ったんだ。
ちなみに、その降り立った場所、京都にある鞍馬寺の山奥だ。
あそこの山中に祠があるが、その祠の少し横のあたりに強烈
なエネルギースポットがある。そこに降り立った。
ちなみに、サナートクマラという存在は自分の存在を
きちんと名前と地名に封印している。
サナート・クマラ ⇒ SANAT KUMARA
この6文字を入れ替えてみると
SATAN KURAMA
すなわち、サタン・蔵馬 となる。
蔵馬にいるサタン様というわけだ。
鞍馬寺の境内に大きなマークがあることを知っている人も
多いだろう。
お寺に似つかわしくないこのマーク、ここまで説明すると
よくわかるのではないか。
このサタン、悪という極の代表であるが、彼が悪い人と
いうわけではない。二極性の学びの中では、善の役割を
演じる人と悪の役割を演じる人が必要で、サタンは自ら
その悪の役割を買ってでてくれたのだ。
その存在によって、私たちは善とはなにか、悪とは何かを
考えることができるようになっている。
二極性は絶対的なものではない。
相対的な世界の中で様々な学びを得るためのものだ。
是非、京都の鞍馬寺に訪問した際には、
こうした学びの機会を与えてくれたサナート・クマラ様に
感謝を述べてほしい。
ちなみに、蔵馬寺の僧侶の中には宇宙語をきちんと
話せるやつがいるぞ。
あの寺の上空にはよく宇宙機が飛んでいるから、UFO
みたい人は是非注意してみてくれ!
きょうはここまで。
じや!
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