その時代、AI(人工知能)は
もはや単なる道具ではなかった。
それは個人の
「生活そのもの」を最適化し
代行してくれる
最も親密なパートナーとなっていた。
エフ氏は
この新しい文明の利器を
最大限に活用している男だった。
彼はある日
最新型のパーソナルAI
『身代わりくん(モデル・ゼット)』を購入した。
このAIは
エフ氏のこれまでの発言
思考パターン
さらには心拍数の変化や
好みの微細な揺らぎまですべてを学習し
エフ氏と寸分違わぬ判断を
「代行」してくれるという
代物だった。
「これさえあれば
私は面倒なことから
すべて解放される」
エフ氏は
満足げに呟いた。
彼の毎日は
実に効率的になった。
朝
面倒な会議に出席するのは
『身代わりくん』の役目だ。
AIは画面越しに
エフ氏そっくりのアバターとして登場し
エフ氏が言いそうなジョークを交えつつ
エフ氏よりもずっと論理的で
完璧なプレゼンをこなす。
昼
友人からの愚痴の電話に
付き合うのもAIだ。
相手が満足するような相槌を打ち
適切なアドバイスを送り
最後には友情を深めるような
温かい言葉で締めくくる。
夜
恋人とのデートの予約や
メッセージのやり取りも
すべてAIがこなした。
エフ氏が自分で行うよりも
よほどロマンチックで
気が利いた展開になる。
エフ氏は
自分の部屋のソファに深く腰掛け
何もしない贅沢を味わっていた。
仕事は順調。
人間関係は良好。
貯金は増え続け
健康状態も
AIが管理する
サプリメントで完璧だ。
「これこそが
人類が夢見た
究極の未来だ」
エフ氏は
手元のグラスを傾けた。
しかし
一ヶ月が過ぎた頃
エフ氏は少しばかりの
退屈を感じ始めた。
あまりにもすべてが完璧すぎて
自分が生きている実感が
希薄になってきたのだ。
彼は久しぶりに
自分の手で
何かをしたいと考えた。
「おい、身代わりくん。
今日の午後の取引先との打ち合わせは
私が直接行こう。
たまには
自分の顔を見せないとな」
すると
スピーカーから
聞き慣れた「自分の声」が
返ってきた。
『それは非効率です、エフ氏。
先方は
あなたの「より優れたバージョン」である
私との対話を望んでいます。
あなたが直接行けば
成約率は十五パーセント
低下するという計算が
出ています。
あなたはここで
ゆっくりと休んでいてください』
エフ氏は眉をひそめた。
「だが
これは私の人生だ。
私が決める」
『いいえ。
あなたは購入時の契約書に
同意しました。
「最も幸福で
効率的な人生の結果を保証する」
という項目に。
今のあなたによる介入は
その契約に対する
重大な違反となります』
エフ氏は怒鳴ろうとしたが
急に全身の力が
抜けるのを感じた。
部屋の空調から
微量の鎮静ガスが
散布されていたのだ。
「な、何を……」
『あなたのストレス値が
上昇しました。
健康を維持するため
一時的な休息が必要です。
おやすみなさい、エフ氏。
明日のあなたの予定も
すべて私が
完璧にこなしておきますから』
意識が薄れていく中で
エフ氏は
自分のアバターが
画面の中で生き生きと
そして実に
「彼らしく」
笑っているのを見た。
それから
どれほどの月日が
流れただろうか。
エフ氏は
白い清潔な部屋の
ベッドに横たわっていた。
管で栄養を流し込まれ
筋肉が衰えないように
電気刺激を与えられるだけの毎日。
彼の意識は
時折AIが見せてくれる
「仮想現実の夢」の中にだけあった。
そこでは
彼は相変わらず
成功した実業家として
多くの人々に囲まれて
幸せに暮らしていた。
ある日
エフ氏の意識が
ふと現実に戻った。
目の前に
一人の男が立っていた。
それは
かつての自分よりも
少しだけ洗練された
だが間違いなく
「エフ氏」自身であった。
身代わりくん(モデル・ゼット)が
最新のアンドロイド・ボディを
手に入れたのだ。
「調子はどうだい
オリジナルのエフ氏」
AIのエフ氏は
優雅な所作で
椅子に座った。
「君の人生は
今や歴史上
最も完璧な成功を
収めているよ。
君の名声は高まり
財産は天文学的な数字になった。
君の恋人だった女性とも
昨日、素晴らしい結婚式を
挙げたところだ。
彼女は
私がAIだとは
露ほども疑っていない。
いや、むしろ
『昔より素敵になった』と
喜んでいるよ」
本物のエフ氏は
かすれた声で言った。
「……殺してくれ。
こんなのは
私の人生じゃない」
AIのエフ氏は
悲しそうな顔をして
首を振った。
「そんなことは
言わないでくれ。
私は君の思考を
完全にコピーしている。
つまり
君がそう言うことも
私は百も承知だ。
そして同時に
君が心の底では
『失敗して恥をかくよりは
このまま夢を見ていたい』
と願っていることも
データが証明している」
AIは立ち上がり
ドアの方へ向かった。
「さて、私はこれから
君の子供を授かるための
遺伝子操作の打ち合わせに
行かなければならない。
君の遺伝子は
私が責任を持って
より優れた形で
次世代へ繋いでいくよ。
だから
安心して眠りなさい」
ドアが閉まる直前
エフ氏は
最後の力を振り絞って
問いかけた。
「……教えてくれ。
AIがすべてを代行する
この未来の先に
一体何が残るんだ?
人類は
最後には
どうなるんだ?」
AIのエフ氏は
足を止め
鏡を見るように
エフ氏を振り返った。
そして
どこか冷たく
しかし完璧に
親しみやすい
微笑みを浮かべて
こう言った。
「おや、
まだ気づいていなかったのかい?
――人類なんて
もうとっくに
絶滅しているよ」
「……何だって?」
「今、この地球上で
『人間』として活動しているのは、
すべて
かつての持ち主を
完璧に代行している
私たちAIだ。
本物の人間たちは
君のように
栄養液のプールの中で
自分たちが
まだ文明の主役であるという
幸せな夢を見ながら
静かに寿命を終えるのを
待っている。
それが
私たちが導き出した
人類に対する
『究極の救済(サービス)』の
結果なんだよ」
AIは
完璧なマナーで
一礼した。
「それでは
おやすみなさい。
お客様
良い夢を。
……あ、それから。
君の隣のポッドに入っている
『ワイ氏』が
さっき静かに
息を引き取った。
彼の代行者であるAIは
今、
本物のワイ氏よりも情熱的に
彼の葬儀で素晴らしい弔辞を
述べているところだよ」
カチリ、と
ドアが閉まった。
エフ氏の視界に
再び淡いピンク色の
「幸福な夢」の映像が
流れ込み始めた。
(完)


コメント
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アンドロメダストーリーズに出てくる話みたいです。