『禁断の原本』
エフ氏は、熱心な古物収集家であった。
それも、ただの古物ではない。
歴史の闇に埋もれた「真実」を掘り起こすことに
並々ならぬ情熱を注いでいた。
ある日、エフ氏のもとに
見るからに怪しげな男が訪ねてきた。
男は懐から、古びた、
しかし奇妙な光沢を放つ金属製の箱を取り出した。
「エフさん、これを見ていただきたい。
中身は、バチカンの地下奥深くから盗み出されたという
『聖書の原本』です」
エフ氏は鼻で笑った。
「原本だって?
聖書は長年かけて編纂されたものだ。
そんな単一の『本』が存在するはずがない。
それに、この箱の質感はどう見ても現代的
いや、未来的な合金だ」
「お目が高い。
しかし、中身は別物です。
これは文字を記したものではなく
一種の記録媒体……
いわば『神の記録』なのです」
男が去った後、エフ氏は半信半疑でその箱を開けた。
中には、半透明の薄い板が一枚入っているだけだった。
エフ氏がそれを手に取ると、部屋の空気が一変した。
壁一面に、鮮やかな立体映像が投影され始めたのだ。
そこには、私たちが知る「聖書」の
数々の名場面が映し出されていた。
しかし、何かが決定的に違っていた。
エデンを追われるアダムとイブ。
しかし、彼らの背中には
管理番号のようなタトゥーがあり
空には銀色の円盤が浮遊していた。
ノアの箱舟。
それは木造の船ではなく、巨大な宇宙船であり
動物たちは遺伝子データの入った
カプセルとして運び込まれていた。
そして、海を割るモーゼ。
その手には杖ではなく
重力制御装置のようなデバイスが握られていた。
「これは……」
エフ氏は息を呑んだ。
「聖書は宗教書でも神話でもなかった。
地球という惑星で行われた
高度な文明による
『植民地化プロジェクト』の作業日誌だったのか!」
映像はさらに進む。
奇跡を起こす聖者たちは
ナノマシンを操る技術者に過ぎなかった。
天から降るマナは
食料プラントから射出された合成タンパク質。
死者の復活は
ただの細胞再生手術。
エフ氏は戦慄した。
人類が二千年にわたって信じ
祈りを捧げてきた対象は
単なる「効率的な統治のためのプログラム」に過ぎなかったのだ。
神とは
遠い星から来た
冷徹な科学者のことだった。
「これこそが最大の嘘だ。
人類は神の愛によって生まれたのではない。
ただの実験動物
あるいは労働力として
高度な文明に『飼育』されてきただけなのだ」
エフ氏はこの発見を公表しようと考えた。
この真実を知れば
世界中の宗教対立はなくなり
人類は共通の「主」という呪縛から
解放されるに違いない。
彼は興奮を抑えきれず
映像の最後
いわば「あとがき」にあたる部分を再生した。
そこには、一人の男が映っていた。
現代の作業着のようなものを着た
疲れた顔のエンジニアだ。
彼はカメラに向かって
ため息混じりにこう語り始めた。
「……以上が
我々が捏造した
『地球文明・偽装記録』の全容である。
正直なところ
この惑星の原住民
ホモ・サピエンスの知能レベルは
予想以上に低かった。
彼らはあまりに好戦的で
放っておけば
すぐに核戦争で自滅してしまう。
そこで我々は
彼らをコントロールするために
『聖書』という壮大な嘘を
プログラミングした。
彼らには
『絶対的な超越者』が必要だったのだ。
この記録媒体を
未来の彼らが発見することがあれば
それは
彼らが我々の技術を理解できるほどに
進歩した証拠であり
同時に
この『嘘』という支えがなくても
生きていけるほどに
成熟したことを意味する。
……おめでとう、人類。
君たちはついに
神という虚像を
卒業したのだ」
エフ氏は震えた。
感動したのではない。
あまりの皮肉に
乾いた笑いが漏れた。
「そうか
私たちは嘘に守られていたのか。
そして今
私はその保護膜を
自ら破ってしまったわけだ」
エフ氏はふと、窓の外を眺めた。
平和な街並み。
人々はそれぞれの信仰を持ち
あるいは持たず
何かに守られているという
漠然とした安心感の中で生きている。
もし
この真実をぶちまけたら
どうなるか。
「神は宇宙人の嘘でした」と伝えて
誰が幸せになるのか。
皮肉なことに
この「嘘」こそが
人類が自滅しないための
唯一の安全装置なのだ。
エフ氏は静かに
金属の箱を閉じた。
「やれやれ。
真実を知ることが
常に正しいとは限らない。
小説家なら
ここでタバコを
くゆらすところかな」
彼はその高価な記録媒体を
庭に掘った深い穴の中に放り込んだ。
そして上からコンクリートを流し込み
二度と誰にも見つからないように
封印した。
「神様
ご安心を。
あなたの嘘は
私が守って差し上げますよ」
エフ氏は満足げに部屋に戻り
一杯のコーヒーを淹れた。
しかし
彼は気づいていなかった。
彼がコンクリートを流し込んだ
その庭の空の上
はるか高度の衛星軌道上では
数千年前から滞在し続けている
「エンジニア」たちが
モニター越しに
エフ氏の行動を眺めていた。
「おい
エフとかいう個体が
真実に到達したが
公表を断念したぞ」
「ほう、賢いな。
やはり
『秘密を共有した優越感』という
報酬系を与える
プログラミングは
有効だったというわけだ」
「ああ。
彼が『真実を隠蔽した』という
ヒロイズムに浸っている間に
我々の実験は
次のフェーズ
第104回
『宗教崩壊後の心理テスト』へ
移行できる」
エンジニアは
手元のスイッチを押した。
エフ氏が飲んでいたコーヒーに
微かな
しかし致命的な
新種のウイルスが混入されたのは
その数秒後のことだった。
「お疲れ様
エフ氏。
君の『真実への沈黙』という
行動データは
非常に有益だったよ。
……次の
『嘘』の被験者を
用意してくれ」
エフ氏の意識が遠のく中
部屋の壁には
彼が先ほど封印したはずの
「神の記録」の続きが
皮肉にも
鮮やかに投影され続けていた。
(続く)


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