『偽の遺言』
エフ氏の意識が完全に消える直前
彼は最後の力を振り絞って机に向かった。
自分が死んだ後
あの「原本」を
誰かが掘り起こさないとも限らない。
あるいは
あの不可解な箱の存在を嗅ぎつけた者が
家の中を捜索するかもしれない。
彼は震える手でペンを握り
一枚の便箋に文字を走らせた。
それは
真実を隠すための
さらなる「嘘」のコーティングだった。
エフ氏が冷たくなっているのが発見されたのは
その翌朝のことだった。
駆けつけた警察と彼の親族
そして噂を聞きつけてやってきた古物商たちが
目にしたのは
整然とした書斎と
机の上に置かれた一通の遺書だった。
そこには
流麗な筆致で
こう記されていた。
「私はついに
人類最大の宝を発見した。
バチカンから流出したという
あの箱の中身は
未来から届いた
『黄金律』の結晶であった。
しかし
その内容はあまりにも神々しく
私のような俗人が
所有してよいものではなかった。
私は
その『聖なる光』に耐えきれず
自らの意志で
それを地中深くへ返した。
後の世の人々よ
あそこを掘り起こしてはならない。
あそこには
人が触れてはならぬ
『純粋な愛』が
封印されているのだから」
遺書を読んだ人々は
一様に感銘を受けた。
「エフ氏は
神の真理に触れて
昇天したのだ」
「なんと
高潔な最期だろう」
古物商たちは
彼がコンクリートで固めた
庭の隅を
聖域として崇めるようになった。
誰も
そこを壊そうとはしなかった。
エフ氏の「嘘」は
見事に人々の好奇心を
「信仰」へと
すり替えたのだ。
しかし
空の上のエンジニアたちは
モニターを見ながら
冷笑を浮かべていた。
「見ろ、
エフの奴
死に際に
面白い『バグ』を残していったぞ。
自分の死を美化するために
我々の記録媒体を
『聖なる光』だと
書き残した」
「おかげで
地上の連中は
あの場所を拝み始めた。
実験用のサンプルを
保存しておくには
ちょうどいい
隔離施設になったな」
エンジニアの一人が
コンソールのレバーを引いた。
すると
エフ氏が埋めた
コンクリートの奥深くで
休止状態にあった記録媒体が
微かに共鳴を始めた。
数日後。
エフ氏の庭を訪れた
信者の一人が
不思議な現象を報告した。
「コンクリートの上から
心地よい温かみと
微かなハミングが聞こえる。
これは
エフ氏が言っていた
『純粋な愛』の鼓動に
違いない!」
噂は瞬く間に広まり
そこは
新たな聖地となった。
人々は列をなし
エフ氏が
「ゴミ箱」として使った場所に跪き
賽銭を投げ入れ
熱心に祈りを捧げた。
エンジニアたちは
その様子を
データとして
淡々と記録していく。
「第105回実験
『偽の遺言による
新宗教の発生プロセス』
非常に順調だ」
「皮肉なものだな。
真実を隠そうとした
エフの嘘が
我々の次の実験を
加速させるとは」
地上では
人々が涙を流しながら
「エフ聖人」の名を呼び
天を仰いでいた。
その視線の先に
自分たちを観察する
冷たい機械の眼があることなど
露ほども知らずに。
エフ氏の思惑は
完璧に外れた。
彼が守ろうとした
「古い嘘」は
彼自身が書いた
「新しい嘘」によって上書きされ
人類はまた一歩
彼らの望まない
「進化」へと
飼いならされていくのだった。
(つづく)


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