過去への忘れ物

『過去への忘れ物』

エフ氏は
発明家だった。

もっとも
世間からは
変人扱い
されていたが。

彼はついに
完成させたのだ。

誰もが夢見た
時間旅行の機械
タイムマシンを。

それは
大きな柱時計の
ような外見で

中には
椅子が一つ
備え付けられている。

「これで私は
歴史の目撃者に
なれるのだ」

エフ氏は
野心に燃えていた。

しかし
彼には
慎重な面もあった。

いきなり
恐竜の時代や
戦国時代へ行くのは
危険すぎる。

まずは
ごく近い過去で
テストをすべきだ。

エフ氏は
ダイヤルを
一時間前にセットし
レバーを引いた。

軽い振動の後
扉を開けると
そこは
一時間前の
自分の部屋だった。

机に向かって
熱心に設計図を
書いている
一時間前の自分が
そこにいた。

「成功だ!」

エフ氏は歓喜した。

過去の自分は
こちらの存在に
気づいていない。

彼は急いで
マシンに戻り
現代へと帰還した。

「素晴らしい。
これさえあれば
人生のどんな失敗も
やり直せる」

エフ氏は
それからというもの
マシンの虜になった。

朝食で
コーヒーをこぼせば
すぐさま
数分前に戻って
カップの位置を変える。

株価が下がれば
前日に戻って
売り抜ける。

エフ氏の生活は
完璧なものに
なったはずだった。

ところが
奇妙なことが
起こり始めた。

エフ氏の体が
少しずつ
透き通ってきたのだ。

鏡を見ると
向こう側の景色が
ぼんやりと見える。

「どういうことだ。
健康状態は
すこぶる良いのに」

彼は慌てて
理論を再確認した。

時間旅行には
一つの厳格な法則が
あったのだ。

過去に戻って
物事を変えるたび
その人間の
『存在の濃度』が
薄まっていく。

本来
起こるはずだった
不幸や失敗は
人生という名の
絵の具の
一部だったのである。

それを消しゴムで
消しすぎたために
キャンバス自体が
薄くなってしまった。

「これはまずい。
このままでは
私は消えてしまう」

エフ氏は
解決策を探した。

濃度を取り戻すには
どうすればいいか。

答えは簡単だった。

今まで回避してきた
すべての不幸を
一気に引き受ければ
いいのだ。

エフ氏は決心した。

マシンに乗り込み
ダイヤルを
数ヶ月前に合わせた。

自分が
マシンを完成させた
その瞬間の直前だ。

彼は
過去の自分の部屋に
忍び込み
大事な部品を
ハンマーで叩き壊した。

「これでよし。
これで私は
タイムマシンを
発明しなかった
ことになる」

一瞬
エフ氏の体は
かつてないほど濃く
実体を取り戻した。

しかし
そこで彼は
重大な事実に
気がついた。

マシンを
壊してしまったら
『今ここにいる自分』は
どうやって
現代へ帰ればいいのか。

目の前には
壊れた機械と
呆然とする
過去の自分がいる。

「ああ……」

エフ氏の存在は
帰る場所を失い
過去の時間の隙間に
永遠に挟まってしまった。

彼は今も
自分の部屋の隅で
透明な幽霊として
漂っている。

過去の自分が
また新しい
タイムマシンを
作り始めないよう
祈りながら。

(完)

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