「完全食の時代」
エフ氏が消去したはずの「違和感」は
完全には消えていなかった。
それは
歯に挟まった小さな繊維のように
意識の奥で
時折
ちくりと疼いた。
自己暗示装置のログには
確かに
「不純感情:完全除去」と
表示されている。
だが
数値に現れないノイズが
確実に残留していた。
ある日
上位存在から
直々の通達が届いた。
「全調査官は
次期プロジェクト
『完全食フェーズ』の
準備に入れ」
エフ氏は
説明資料を読み進めながら
小さく息を呑んだ。
これまで
魂は「デザート」だった。
甘く
軽く
即効性のある
嗜好品。
だが
上位存在たちは
それでは
満足しなくなったのだ。
「今後は主食とする」
資料には
そう書かれていた。
上位存在たちの文明は
極限まで効率化されていた。
労働はない
葛藤もない
創造すら
外注化された世界。
だが
その代償として
彼らは
慢性的な「空腹」に
苛まれていた。
単なる幸福では
もう足りない。
持続的で
安定的で
自己再生可能な
エネルギー源。
それが
「完全に調整された魂」
だった。
エフ氏の任務は
地球を
「完全食工場」へと
移行させること。
スピリチュアルは
次の段階へ進む。
もはや
幸福を
“感じる”必要すらない。
幸福を
“摂取する”のだ。
新たに地球へ流された概念は
こうだ。
「感情は脳の誤作動である」
「悩みは未熟さの証明である」
「正解はすでに用意されている」
考えなくていい
迷わなくていい
選ばなくていい。
ただ
推奨された瞑想
推奨された思想
推奨された生き方を
なぞればいい。
やがて
地球では
新しい言葉が
流行し始めた。
「感情コスパ」
「思考デトックス」
「悩まないワタシ」
学校では
子どもたちに
教えられた。
「疑問は
未調律のサインです」
魂は
さらに
均質化していった。
色はより淡く
形はより滑らかに。
エフ氏のモニターには
美しい統計曲線が並んだ。
不安値ほぼゼロ
怒り値検出不能。
だが
その時だった。
異常値が
一つ検出された。
ある地球人男性の魂が
「拒絶反応」を
示していた。
幸福値は高い。
調律も完璧。
だが
魂の中心部で
小さな硬い結晶が
形成されている。
名称
未定義。
エフ氏は
そのデータを
食い入るように
見つめた。
結晶の波形は
かつて
自分の中に
残留していた
あの違和感と
酷似していた。
男性は
特別な思想家でも
反逆者でもなかった。
ただ
ある日
こう
呟いただけだった。
「……本当に
これでいいんだろうか」
誰にも
聞かせるつもりのない
独り言。
だが
その一瞬の問いが
魂の中心に
“噛み応え”を
生んだ。
上位存在から
即座に指示が飛んだ。
「即時廃棄せよ」
「混入は許されない」
エフ氏は
指を止めた。
廃棄すれば
簡単だ。
だが
なぜか
その魂が
ひどく“美味しそう”に
見えた。
甘さだけではない
苦味
渋み
ざらつき。
完全に
消されていない
問い。
エフ氏は規定を破り
その魂を隔離保存した。
理由は
自分でも
説明できなかった。
その夜
エフ氏は
久しぶりに
自己暗示装置を
使わなかった。
代わりに
その魂の波形を
眺め続けた。
すると
胸の奥で
何かが確かに
動いた。
それは幸福ではない。
不安でも恐怖でもない。
ただ
「考えたい」という衝動。
エフ氏は
初めて理解した。
上位存在たちが
なぜ
これほどまでに
均質な魂を
求めるのか。
それは
栄養のためではない。
“問い”を
恐れているのだ。
エフ氏は
小さく笑った。
そして
新たなプロジェクト名を
入力した。
「不完全食計画」
地球の片隅で
今日も
誰かが
ふと立ち止まる。
「これで
いいのだろうか」と。
その瞬間
世界は
ほんの少しだけ
噛み応えを
取り戻す。
そして
それこそが
宇宙で最も
危険な味だった。
(つづく)


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