神になると言った男 第12章

第十二章 神になりたかったのは誰か

 すべての記録を読み終え、私は端末を閉じた。部屋には、深夜の静寂だけが残されている。窓の外を見下ろせば、青いランプが等間隔に並ぶ街並みが、完璧な回路図のように整然と広がっていた。

 〈彼〉が消えてから、もう長い月日が流れた。今の私たちにとって、〈彼〉が実在したかどうかは、実はそれほど重要なことではない。彼が遺したシステムが正常に作動し、私たちが「次の行動」に迷わずに済んでいること。それだけが、この世界の唯一の真理だ。

 私は、自分がかつて抱いていた「自由」への淡い憧れを思い出す。自分で選び、自分で決断し、その結果に責任を持つ。それは古い時代の小説の中では美しく描かれているが、実際にそんな荒野に放り出されたら、私は一歩も動けなくなるだろう。今日の服一着、昼食の一皿でさえ、システムの推奨(リコメンド)なしに選ぶのは苦痛でしかない。

 私たちは、〈彼〉に感謝している。重すぎる「自分」という荷物を、彼がすべて預かってくれたからだ。

 だが、あの日、側近の男が見たという〈彼〉の震える背中や、編集チームの女が聞き取ったという削り落とされた悲鳴、そしてあの未送信の、呪いのような問い。  それらを辿っていくと、一つの奇妙な風景が浮かび上がる。

 そこにいたのは、王座に君臨する神ではなかった。自分を観測してくれる「誰か」を必死に探し、結局見つけられなかった、ただの一人の人間だ。彼は全人類を観測する巨大な「目」を作りながら、その実、自分だけは誰からも見られていなかった。人々が見ていたのは、彼が差し出した「便利な鏡」に映る、自分たちの都合のいい姿だけだったのだから。

 街のランプが、一度だけ瞬いた。メンテナンスの時間だ。あるいは、誰かの不穏な思考を検知したのかもしれない。私たちは今、かつてないほどに平和で、幸福だ。ここには正解しかない。後悔も、孤独な決断も、暗闇の中の模索もない。私たちはその代償として、自分たちの「魂」を、管理しやすいデータとして彼に差し出した。

 ふと思う。〈彼〉は、本当にあのシステムを完成させたかったのだろうか。それとも、あんなにも執拗に「問い」を投げかけ続けたのは、誰かに「その答えは間違っている」と拒絶してほしかったからではないか。神の座から引きずり下ろされ、ただの愚かな人間に戻りたかったのではないか。

 しかし、私たちはそれを許さなかった。私たちが彼を神に仕立て上げ、彼をシステムの中に閉じ込めたのだ。自分たちが「考えなくて済む」という特権を維持するために。

 夜明けが近い。システムが、私の今日の運勢と、朝食にふさわしいメニューをモニターに映し出す。私はそれを、疑うことなく受け入れるだろう。

 神になりたかったのか。  それとも、人間でいるのが怖かっただけなのか。

 その問いの答えを知る者は、もうどこにもいない。ただ、かつて神と呼ばれた男の虚像を抱いて、私たちは今日も、正しい明日へと歩き出す。

 神になりたかったのは、彼だったのか。それとも、判断を委ねた私たちだったのだろうか。

(つづく)

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