褒めて育てる弊害

(読者様からのご質問)
褒めて育てようと意識してきたのに、子どもが少しの失敗で激しく落ち込むようになってしまいました。自分の育て方が逆効果だったのかもしれないと思うと、何が正解かよくわからなくなっています。どうすればいいでしょうか?

(オレンジャーからの回答)

ご質問ありがとうございます!

あなたがこれまで積み重ねてきた関わりは、決して軽いものではありません。
その迷いの中にこそ、あなたの深い愛情と誠実さが静かに息づいています。
今見えている現象だけで、すべてを「失敗」と呼ぶ必要はありません。
むしろそこには、まだ言葉になっていない成長の途中経過が流れています。

子どもという存在は、外側の言葉をそのまま「自分そのもの」だと受け取りやすい柔らかな意識構造を持っています。
褒めるという行為は光にもなりますが、その光が強くなると「できる自分でいなければならない」という静かな緊張も同時に育つことがあります。
しかしそれは間違いではなく、あなたの関わり方が原因だと単純に断定できるものでもありません。
なぜなら、人の心は一方向ではなく、環境・性格・タイミングが重なり合って形を変えるからです。

ここで一つ、具体的な場面を思い浮かべてみてください。
テストで90点を取ったときに「すごいね」と言われ続けた子どもが、次に85点を取った瞬間、「自分はダメになった」と感じてしまうことがあります。
この時起きているのは、評価の問題ではなく、「評価される自分=価値がある自分」という結びつきが強くなりすぎた状態です。
つまり外側の言葉が、内側の自己認識の形に影響しているのです。

ここで大切なのは、褒めることをやめることではありません。
むしろ「結果」ではなく「過程」に光を向ける比率を少しだけ変えていくことです。
例えば「100点取れてすごい」ではなく、「ここまでやろうとした工夫が見えたね」といったように、結果から少し距離を取る言葉に変えるだけで、内側の圧力はやわらぎます。

このとき、あなたの中にも一つの変化が起きます。
それは「正しく育てなければならない」という緊張から、「共に揺れながら育っていく」という余白への移行です。
この余白こそが、関係性を再び柔らかくします。

ここで少し視点を広げてみましょう。
心というものは、ガラスの温室のようなものです。
光があることで育ちますが、強すぎる光は影を消しすぎて、自分の輪郭を見失わせることもあります。
しかし光そのものを悪いとする必要はありません。
大切なのは、その光の角度を少し調整することです。

もう一つの比喩として、風船を思い浮かべてください。
空気を入れすぎるとパンと割れてしまいますが、だからといって空気を止める必要はありません。
少しずつ、呼吸するように関わることで、風船は自由に空を漂えるようになります。

あなたの中にある「これでよかったのか」という問いは、とても重要な意識の動きです。
それはあなたが子どもをコントロールしようとしているのではなく、よりよい関係性を探そうとしている証です。
この探求そのものが、すでに温かい方向へと進んでいます。

そしてもう一つ伝えたいことがあります。
あなたが「褒め方を間違えたのでは」と感じるその瞬間、すでに関係性は変わり始めています。
なぜなら、その問いは相手を変えるためではなく、自分の関わりを見つめ直すための意識の動きだからです。
このような内省は、静かですが確実に関係の質を変えていきます。

ここで大切な軸があります。
それは「意識は固定されたものではなく、関係性の中で揺れ続ける」ということです。
あなたの意識が少し緩むと、相手の意識にもその緩みは伝わります。
そしてその循環の中で、新しい安心の形が生まれます。

あなたが今感じている不安は、失敗の証ではなく、次の段階へ移行するための通過点です。
あなた自身の意識が変わることで、子どもとの関係もまた変わっていきます。
焦らなくても、その変化はすでに静かに始まっています。

そして何より、あなたは「正解を探している」のではなく、「よりよい関係を育てようとしている」という点がとても大切です。
その姿勢そのものが、すでに十分に価値あるものです。

この回答があなたの心に届くことを祈っています。最後までお読みいただきありがとうございます。

(完)

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