
こんなこと聞くべきじゃないかもしれないんですけど。



何ですか?



じつは常々疑問に思っていることがありまして。



はい。



ホントは地球上に、70億も人間はいないんじゃないかと。



どういうことですか?



自分にとっての世界って、自分が主人公の映画みたいなものじゃないですか。



まあ、そうですね。



70億人の99.99%は会ったこともない、たぶんこれから会うこともない、何の関係もない人たちですよね?



はい。



だったら居なくてもいいんじゃないかと。



怖いこと言いますね。



いや、滅ぼしてしまえとか、そういうことを言ってるんじゃないんです。



じゃあ、どういう意味なんですか?



ホントは存在してないんじゃないかと疑っているわけです。



安田さんにとっては、存在してないのも同じだと?



たとえば、僕が「オレンジャーさんは存在している」と思っているから、オレンジャーさんは存在しているわけで。



安田さんの世界の中では、そうですね。



世界の中心というか、存在の中心というか、それは「自分である」としか思えない。傲慢ですかね?



いや、もうまったく、おっしゃる通りだと思います。



そうですよね。



100人の人がいたとしたら、僕はそれぞれの人に固有の100の世界があると思っていますから。



そこがちょっと違うんですよね。



違いますか?



オレンジャーさん理論では、地球上に70億の世界があるってことですよね。



人間の数だけ、正確に言えば主体的に認識する人の数だけ世界がありますよね。



それが、どうも実感として信じられないというか、そんなことあり得るのかなっていう。



どういう意味ですか?



映画にもエキストラっているじゃないですか?ただ通行しているだけとか、単なる背景とか、つまり何の役割もない人。



はい。エキストラ役の方っていますよね。



実際の世界も、構造は同じなんじゃないかと思うんですよ。



自分と関係のない人は、自分の世界のエキストラだってことですよね?



いえ、そうじゃなくて。70億人すべてが自分の映画を持っているとは、どうしても思えないんですよ。



ほう。それはどういうことですか?



もう9割とか99%とかは、本当にエキストラなんじゃないのかって気がするんですけど。



安田さんの人生の中ではエキストラ役であっても、そのエキストラ役の人の世界の中では当然、主役になってますよね?



なってるんですかね?



はい、僕はそう思っています。どんなにエキストラっぽい人でも、その人から見た主観世界というものがあるんですよ。



あるんですか?ホントに?



はい。あると思います。



でも確かめる術は、ないじゃないですか?



ないですね。そればっかりは。



やっぱり、疑わしいですよ。



となると、安田さんが考えている世界観っていうのは、特定の何人かが生み出した世界の中に、残りの人たちが生かされているようなイメージですか?



生かされているというか、テーブルと変わらないような感じ。



凄いですね!



たとえば僕の世界では、見たことも会ったこともない人って、存在してないってことなんですよ。



それは、安田ワールドの中では存在してないんですよ。



でも安田ワールドの外では、存在してるってことですよね?



はい。



70億人存在してるってことですよね?



はい。



70億人いるって、どうやって証明するんですか?



できないですよね。



できないじゃないですか。僕の記憶に「世界の人口は70億人だ」と刷り込まれているだけで、本当にいるのかどうかなんて分からない。



分からないですね。



僕の世界では70億っていうことになってますけど、もしかしたら他の人の世界では30億かもしれない。



その人の世界に登場する人はみんな、30億人だと思っているわけですね?



そうです。そしたらその世界では、人口は30億人ですよね。



そうなりますね。



つまり僕が認識しているこの世界は「自分の世界」であって、自分が死んだあとには世界なんて残らないんじゃないかと。



自分以外の人が生き残っていく、というのも自分の幻想にすぎないと?



そういうことなんですよ。地球なんていうものはなくて、あるのは安田地球だけじゃないのかって気がするんです。



めっちゃ鋭いご意見だと思います。その点については完全に同意です。安田さんが観察されている世界では安田地球のみですが、私が観察している世界にはオレンジャー地球しか存在していないということだと思います。



でもこれを確かめるには、死ぬしかないんですけど。



いや、たぶん死んでも分からないと思います。



え!死んでも分からないんですか?



認知できないと思います。



もとの世界が「その後どうなったのか」っていうことは、認知できない?



はい。たぶん元の世界は消滅しますね。自分がいない世界の延長っていうところが、自分には認識できない=見えないですから。



よく映画なんかでは、自分が死んだあとの「家族のようす」とかが見えたりしますけど。



いや、見えないです。あれは生きている人間の想像から生まれている幻想です。



ということは、私がいた世界が「本当に存在したのか」とか、「まだ続いているのか」とか、永遠に分からない?



はい。



じゃあ、やっぱり私の仮説のほうが正しいんじゃないですか?世界なんて本当は存在しない。



古代インドの神話の中に「全てのことは壮大なある人の夢だった」みたいな結論で終わる話があるんですよ。



そんな可能性もありますよね。



可能性はあります。でもそれを検知する能力が私たちには与えられていない。僕も世界の本当の正体を、是非見てみたいですけれども。



見てみたいですよね。死んだあとには「真実が見える」と期待してたんですけど。



肉体の制約が外れることによって、見える世界観は確かにあります。でもその世界はまだ自分という閉じた系の中に入ってる。



閉じた系?



はい。



そこから出たらどうなるんですか?



じつは僕、自分の意識が消えるギリギリのところまで、追い込んでみたことがあるんですよ。



追い込む?



はい。自分の意識をどんどん消して行くわけです。



どうなるんですか?



何て言ったらいいんですか。バランスを取ろうとして、あるところから行けなるなるんですよ。とにかく怖いんです。凄く。



怖い?



自分の意識を消していけば消していくほど、それに反比例して絶対的な恐怖がやってくるんです。



絶対的な恐怖?死ぬってことですか?



いや、死よりもっと大きな恐怖です。本当の意味での自分の消滅みたいな感じです。でも、もしかしたらその一線の向こう側に、安田さんの求める答えがあるかもしれないですね。



絶対的な恐怖の先に、世界の答えがあると?



閉じた系の中にいる限りは、このわけの分からない「バーチャルリアリティ・ゲーム」の世界に閉じ込められている気がします。



死んでも、まだ閉じ込められていると?



閉じ込められてます。肉体を持っている時よりは自由度が高いですけど。逆に言うと肉体を持っている3次元なんて、おもちゃ箱の中みたいなものです。



そこから出ても、まだ外側ではない?



死んだら誰もが悟って、すべてが分かるなんて、全然そんな話ではないんです。



じゃあ、ブッダとか、キリストとかの悟りは、どこの話なんですか?



もしかしたら、彼らは生きたまま、一つの閉じた系の外側に行けた存在なのかもしれません。ただ、それもより大きな世界観から見れば、まだ箱の中のように思えます。なんか果てのない話なんですが、全てを超越した存在について私はまだ知りませんね。
<第28回へつづく>
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