
ブッダは「菩提樹の木の下で悟りを開いた」って聞いたんですけど。



そう伝えられてますね。



「悟りとは何か」っていうのを、ずっと考えてたんですよ。



何か分かりましたか。



以前は「死後の世界」みたいなものを、生きながら見ることじゃないかと考えてたんですけど。



そうじゃないと。



だって、オレンジャーさんは見えるわけでしょ。



はい。でも、私は「悟ってる人間」には見えないってことですね(笑)



そうなんですよ。で、また新たな仮説を立てまして。



ほう。どんな仮説ですか?



オレンジャーさん、言ってましたよね?生きている限り、絶対に不安は0にはならないって。



はい。完璧にゼロにするのは不可能だと思いますね。



どんな金持ちでも、どんなに健康でも、この先何があるか分からないし、必ず死ぬわけですからね。



そうです。未来は誰にも分からない。



だから、先のことを考えると、絶対に不安になるじゃないですか。



なりますね。



なので「生きながら、肉体を持ちながら、完璧なる不安ゼロ」を成し遂げた状態。それが悟りなんじゃないかと。



そう思い至ったんですね。



はい。で、完璧なる不安ゼロを成し遂げようとすると、今この瞬間だけを100%生きるしかない。



おっしゃるとおりだと思います!



やっぱりそうですか。



禅であったり、ヨガであったり、修行僧であったり。アプローチの仕方は違うんですけど、求めてるところは結局全部同じだと思います。



それはやっぱり「不安をなくす」ってことですか。



不安とか悩みとか。要は現世での苦しみから解脱すること。仏教の世界ではそれが悟りの境地ですね。



そのために皆さん、修行しているわけですか。



まあ、そういうことですね。



どうやったら解脱できるんですか?



段階がありまして。



段階?



「あなたは私であって、私はあなたである」というのが第一段階。



「相手の身になって考えろ」ってことでしょうか。



自分たちが「どういう立ち位置にいるのか」っていうのを学んでいくんですけど。



立ち位置?



昔の中国に、牛と自分の立ち位置を示してる「十牛図」ってのががあるんですけれど。(参考:http://www.tees.ne.jp/~houjuzan/jugyuzu.html)



牛の立ち位置ですか。よく分かりませんね。



要は「自分と牛」を、どう認知してるのかっていうのを、その絵で確認していくんです。



う〜ん。むつかしい。



で、最後の最後はどうなるかというと、自他の区別も含めて「あるもないもない」っていう状態までもっていき、さらにその上で現実の世界に還ってくるんです。



あるもないもない。ややこしい。



要は「悟りたい」であるとか、自分が今「苦しい」とか「苦しくない」とか考える時点で、悟りじゃない。



じゃあ、悟りって何なんですか?



その概念すらも超越してしまっている状態。「今、ここに、ただあるのみ」っていう状態。僕も、まだとてもそこまで行けませんけど。



今だけを生きるって、言うのは簡単ですけど。ちょっと不可能なんですよね。



難しいですよね。



だって「今」って言った瞬間に、今じゃなくなるわけですから。



そうですよね。1秒前も1秒後も今ではない。



時間を止める以外に方法がないんですよ。でも時間は止められない。



今というのは点ですからね。点というのは抽象的概念で、現実に体現しようとするととたんにハードルがあがりますね



そうですよね。時間という線の中のひとつの点。でも点って存在しないじゃないですか。



概念では点といいますが、現実世界には存在しませんからね。少なくとも私たちが認知できる五感の世界では。



ですよね。だって紙に点を書いた瞬間に、それは面積を持った面になりますから。



はい。点というのは概念の世界の話です。



でも「今」っていうのは点ですよね。ということは「今」も概念ってことじゃないですか。「今」は存在しないんですか?



今を認識しようとすると、とたんに消滅してしまうような感じですね。逆説的ですけれども。



逆にいうと「今が存在する」とすれば、「時間は存在しない」ってことになりませんか?



まさに!その通りです!



実感として「今」は確かに存在する。だから「時間は存在しない」という結論に、私は至りました。勝どきで。



なぜ勝どき?



家が勝どきだからです。でもどうなんですかね。「今を生きる」ってことは「時間の概念を超える」ってことですか。



はい、まさに自分自身が生み出している時間意識、時間概念を超えるということだと思います。



実際どうなんですか?時間はあるんですか。



ないです。時間はありません。



やっぱり、ないんですか!



時間は人間が作っている幻想です。



誰が作ってるんですか?



私たち「ひとりひとり」の意識が作ってるんです。



じゃあ、時間は流れてない。



流れてないし、月の周回軌道を超えると、時間の概念はなくなります。



月の周回軌道って何ですか。



38万キロ先を月が回ってるじゃないですか。



回ってますね。



月が周回軌道を回ることによって、この時空間みたいなものを固定化しているんですよ。



ちょっと意味がわかりませんが。



つまり月の周回軌道の内側にしか、時間という概念はないということです。



え?突然時間が消えるんですか。



時間が消えるんじゃなくて、時間という概念がなくなるんです。



なぜ、そんなことが分かるんですか?



幽体離脱で月の周回軌道を超えた瞬間に、その概念がなくなったからです。



なんと!月も超えられるんですか、幽体離脱で。



はい。



で、時間の概念がなくなると。



はい。



でもオレンジャーさん、今も腕時計をしてるじゃないですか。なんか疑わしいんですけど。



一応、肉体を持った3次元の人間として地球で生きていますので。(笑)



時計が動いてるのと、時間が経過しているのとは、違うんですか?



ドラクエって、ゲームの中の設定として、ゲーム内時間ってあるじゃないですか。



ドラクエですか?はい。ありますね。ゲーム内時間。



あの時間とプレイヤーの時間って明らかに違いますよね。



まあ、違いますよね。当然。



プレイヤーの1週間が、ゲームの中では一生だったりする。あの感覚に近いです。



ロールプレイングゲームの感覚ってことですか?



そう。ゲームの中の時間は、プログラムで作られた時間の概念でしかない。



まあ、ゲームの中ではそうですよね。



ゲームの世界って、閉じてるじゃないですか。



ゲームの中でってことですか?



はい。僕らのいる、この世界も同じなんですよ。



どういうことですか。



月の周回軌道の内側で閉じているんですよ。



このリアルな世界がゲームだと?



はい、電子ゲームとの違いは五感を伴っているかどうかの差だけです。その差も科学技術の向上でどんどん埋まってきていますよ。
<第31回へつづく>
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