【第27回】死んでも越えられない壁

こんなこと聞くべきじゃないかもしれないんですけど。

何ですか?

じつは常々疑問に思っていることがありまして。

はい。

ホントは地球上に、70億も人間はいないんじゃないかと。

どういうことですか?

自分にとっての世界って、自分が主人公の映画みたいなものじゃないですか。

まあ、そうですね。

70億人の99.99%は会ったこともない、たぶんこれから会うこともない、何の関係もない人たちですよね?

はい。

だったら居なくてもいいんじゃないかと。

怖いこと言いますね。

いや、滅ぼしてしまえとか、そういうことを言ってるんじゃないんです。

じゃあ、どういう意味なんですか?

ホントは存在してないんじゃないかと疑っているわけです。

安田さんにとっては、存在してないのも同じだと?

たとえば、僕が「オレンジャーさんは存在している」と思っているから、オレンジャーさんは存在しているわけで。

安田さんの世界の中では、そうですね。

世界の中心というか、存在の中心というか、それは「自分である」としか思えない。傲慢ですかね?

いや、もうまったく、おっしゃる通りだと思います。

そうですよね。

100人の人がいたとしたら、僕はそれぞれの人に固有の100の世界があると思っていますから。

そこがちょっと違うんですよね。

違いますか?

オレンジャーさん理論では、地球上に70億の世界があるってことですよね。

人間の数だけ、正確に言えば主体的に認識する人の数だけ世界がありますよね。

それが、どうも実感として信じられないというか、そんなことあり得るのかなっていう。

どういう意味ですか?

映画にもエキストラっているじゃないですか?ただ通行しているだけとか、単なる背景とか、つまり何の役割もない人。

はい。エキストラ役の方っていますよね。

実際の世界も、構造は同じなんじゃないかと思うんですよ。

自分と関係のない人は、自分の世界のエキストラだってことですよね?

いえ、そうじゃなくて。70億人すべてが自分の映画を持っているとは、どうしても思えないんですよ。

ほう。それはどういうことですか?

もう9割とか99%とかは、本当にエキストラなんじゃないのかって気がするんですけど。

安田さんの人生の中ではエキストラ役であっても、そのエキストラ役の人の世界の中では当然、主役になってますよね?

なってるんですかね?

はい、僕はそう思っています。どんなにエキストラっぽい人でも、その人から見た主観世界というものがあるんですよ。

あるんですか?ホントに?

はい。あると思います。

でも確かめる術は、ないじゃないですか?

ないですね。そればっかりは。

やっぱり、疑わしいですよ。

となると、安田さんが考えている世界観っていうのは、特定の何人かが生み出した世界の中に、残りの人たちが生かされているようなイメージですか?

生かされているというか、テーブルと変わらないような感じ。

凄いですね!

たとえば僕の世界では、見たことも会ったこともない人って、存在してないってことなんですよ。

それは、安田ワールドの中では存在してないんですよ。

でも安田ワールドの外では、存在してるってことですよね?

はい。

70億人存在してるってことですよね?

はい。

70億人いるって、どうやって証明するんですか?

できないですよね。

できないじゃないですか。僕の記憶に「世界の人口は70億人だ」と刷り込まれているだけで、本当にいるのかどうかなんて分からない。

分からないですね。

僕の世界では70億っていうことになってますけど、もしかしたら他の人の世界では30億かもしれない。

その人の世界に登場する人はみんな、30億人だと思っているわけですね?

そうです。そしたらその世界では、人口は30億人ですよね。

そうなりますね。

つまり僕が認識しているこの世界は「自分の世界」であって、自分が死んだあとには世界なんて残らないんじゃないかと。

自分以外の人が生き残っていく、というのも自分の幻想にすぎないと?

そういうことなんですよ。地球なんていうものはなくて、あるのは安田地球だけじゃないのかって気がするんです。

めっちゃ鋭いご意見だと思います。その点については完全に同意です。安田さんが観察されている世界では安田地球のみですが、私が観察している世界にはオレンジャー地球しか存在していないということだと思います。

でもこれを確かめるには、死ぬしかないんですけど。

いや、たぶん死んでも分からないと思います。

え!死んでも分からないんですか?

認知できないと思います。

もとの世界が「その後どうなったのか」っていうことは、認知できない?

はい。たぶん元の世界は消滅しますね。自分がいない世界の延長っていうところが、自分には認識できない=見えないですから。

よく映画なんかでは、自分が死んだあとの「家族のようす」とかが見えたりしますけど。

いや、見えないです。あれは生きている人間の想像から生まれている幻想です。

ということは、私がいた世界が「本当に存在したのか」とか、「まだ続いているのか」とか、永遠に分からない?

はい。

じゃあ、やっぱり私の仮説のほうが正しいんじゃないですか?世界なんて本当は存在しない。

古代インドの神話の中に「全てのことは壮大なある人の夢だった」みたいな結論で終わる話があるんですよ。

そんな可能性もありますよね。

可能性はあります。でもそれを検知する能力が私たちには与えられていない。僕も世界の本当の正体を、是非見てみたいですけれども。

見てみたいですよね。死んだあとには「真実が見える」と期待してたんですけど。

肉体の制約が外れることによって、見える世界観は確かにあります。でもその世界はまだ自分という閉じた系の中に入ってる。

閉じた系?

はい。

そこから出たらどうなるんですか?

じつは僕、自分の意識が消えるギリギリのところまで、追い込んでみたことがあるんですよ。

追い込む?

はい。自分の意識をどんどん消して行くわけです。

どうなるんですか?

何て言ったらいいんですか。バランスを取ろうとして、あるところから行けなるなるんですよ。とにかく怖いんです。凄く。

怖い?

自分の意識を消していけば消していくほど、それに反比例して絶対的な恐怖がやってくるんです。

絶対的な恐怖?死ぬってことですか?

いや、死よりもっと大きな恐怖です。本当の意味での自分の消滅みたいな感じです。でも、もしかしたらその一線の向こう側に、安田さんの求める答えがあるかもしれないですね。

絶対的な恐怖の先に、世界の答えがあると?

閉じた系の中にいる限りは、このわけの分からない「バーチャルリアリティ・ゲーム」の世界に閉じ込められている気がします。

死んでも、まだ閉じ込められていると?

閉じ込められてます。肉体を持っている時よりは自由度が高いですけど。逆に言うと肉体を持っている3次元なんて、おもちゃ箱の中みたいなものです。

そこから出ても、まだ外側ではない?

死んだら誰もが悟って、すべてが分かるなんて、全然そんな話ではないんです。

じゃあ、ブッダとか、キリストとかの悟りは、どこの話なんですか?

もしかしたら、彼らは生きたまま、一つの閉じた系の外側に行けた存在なのかもしれません。ただ、それもより大きな世界観から見れば、まだ箱の中のように思えます。なんか果てのない話なんですが、全てを超越した存在について私はまだ知りませんね。

<第28回へつづく>

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